ミットキーあらわる
            原作:フレドリックブラウン
            アランフィールド
             
            プロローグ
 
 ねずみのミットキーは、そのときは、ミットキーではなかった。
 彼は、ほかと変わらぬ、ただの、ねずみだった。オッペルバーガー教
授の家の、ゆか板としっくいのうしろに住んでいた。教授は、以前は、
ヴィエンナとハイデルベルグの家に住んでいた。ハイデルベルグは、オ
ッペルバーガーのある強力なものを、あまりに賞賛するがために、ドイ
ツから亡命してきた。彼が賞賛したのは、オッペルバーガーではなく、
失敗に終わったロケット燃料の副産物として生じた、あるガスであった。
このガスは、別の目的としてみれば、大成功であった。



 

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1
























































            1
 
 オッペルバーガーが、ふたりに、正しい方程式を教えたかどうかは、
もちろん、気になるところだが、とにかく、教授は、逃げるのが得策と
考えて、今は、コネチカットの家に住んでいた。それで、ミットキーも、
そこに。
 小さなグレーのねずみと、小さなグレーの人間。どちらにも、変わっ
たところは、なにもなかった。特に、ミットキーに変わったところは、
なにもなかった。自分の家族をもっていて、チーズが好きで、もしも、
ねずみに、ロータリークラブがあれば、ミットキーは、その会員だった
ろう。
 オッペルバーガーは、もちろん、少しは、変わったところはあった。
生涯、独身で、自分以外の人とは、誰とも話さなかった。自分は、もっ
とも優秀な話し相手と考えていて、仕事しているあいだじゅう、常に、
自分自身と、声に出して、会話を続けた。のちに明らかになることだが、
このことは、重要だった。なぜなら、ミットキーは、優秀な聞き手であ
り、夜の間、ずっと、ひとりごとを聞いていたからだ。ミットキーは、
もちろん、それらを理解してはいなかった。それらについて、考えたと
しても、教授は、単に、大きくて、うるさい、ちょっとしゃべり過ぎの、
スーパーマウスのようにしか思っていなかった。

4

3
























































「さて」と、オッペルバーガー。自分に話しかけた。「この排気管が、
ちゃんと動くか、テストしよう!精度は、10万に対して4以内ならい
い。よし、完璧だ。つぎは━━━」
 夜ごと夜ごと、日々、月ごとに、オッペルバーガーの目は、きらめき
を増し、ぎらぎら輝きだした。
 それは、だいたい、3・5フィートの長さで、不思議な形をした、翼をつばさ
もっていた。室の中央のテーブルに、一時的に、軸の上に、置かれてい
た。室は、教授が、自由に使っていた。教授とミットキーが住んでいた
家は、4室あったが、見たところ、教授は、4室とは、考えていないよ
うだった。最初、一番大きな室を、研究目的のみに使うはずだったが、
いつの間にか、あらゆる目的で、使用されるようになった。眠くなった
ら、すみの簡易ベッドで寝て、ガスバーナーで簡単な食事を作った。ガ
スバーナーは、もともと、研究用で、TNT火薬の黄金の穀物を、決し
て食べられない、奇妙な調味料で塩コショウされた、危険なスープに、
溶かし込むために使っていたものだ。
「さぁ、排気管に点火してみよう!最初の排気管の爆発が、隣接するつ
ぎの排気管に、つぎつぎと━━━」
 その夜は、ミットキーは、家族をつれて、どこか、もっと安定した場
所へ、引っ越そうとした。ぐらぐらゆれたり、土台の上で、とんぼ返り
させられることのないところへ。しかし、結局、引越ししなかった。保

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証がなかったからだ。新しい家に、ねずみ穴があるか分からないし、ま
してや、教授がわざと残してくれている、食料を入れておく、冷蔵庫の
後ろの大きな割れ目が、あるとは限らなかったからだ。
 もちろん、排気管は、髪の毛サイズだった。そうでければ、家は、ね
ずみ穴も残さず、吹き飛んでいただろう。ミットキーは、また、もちろ
ん、教授の英語を、というより、どんな英語も、理解できなかったので、
なにが起こるか、予測することもできなかった。理解できていたら、冷
蔵庫の後ろの割れ目さえ、それほど、魅力的ではなかっただろう。
 オッペルバーガーは、その朝、歓声をあげた。
「燃料が動いたぞ!2番目の排気管は、爆発しなかった。最初のは、予
想通りで、より強力だ。個室の余地は、十分ある」
 そう、個室だった。そこは、ミットキーが、入る場所だった。教授は、
まだ、知らなかった。もっとも、教授は、まだ、ミットキーがいること
さえ、知らなかった。
「さて」と、オッペルバーガー。お気に入りの聞き手に。「燃料管をつ
なぐのは、たいへんだ。互いに、働きが逆だし、それに」
 その時、オッペルバーガーは、初めて、ミットキーを見た。ふたりは、
むしろ、灰色のおしゃべり手と、床穴から突き出た、黒くてシャイな、
小さい鼻といった、取り合わせだった。
「おっと」と、オッペルバーガー。「ここに、ミットキーマウスがいた

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んだ!ミットキー、来週、遠出するのはどうだい?きっと、楽しいよ」









            2
 
 それで、つぎの日、オッペルバーガーは、街に、食料品などを注文す
るリストに、ねずみ取りを加えた。殺したりするためでなく、鉄製のか
ごとして。わなではないが、チーズが置かれ、ミットキーのするどい小
さな鼻が、チーズをぎつけるまで、10分とかからなかった。彼は、
鼻に従って、かごに入った。
 しかし、これは、不快な監禁ではなかった。ミットキーは、大事なお
客であった。かごは、教授が、いつも仕事に使っている、テーブルの上
に置かれていた。チーズは、食べさせないで捨ててしまうもので、棒を

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通されていた。教授は、もはや、自分に話しかけないでもよくなった。
「ミットキー、きみのおかげで、ハートフォード研究所に依頼するつも
りだった、ハツカネズミは、必要なくなったんだ。きみは、健康で丈夫
そうだから、ハツカネズミより、ずっと、長旅に耐えられそうだ。そう
だろ?そうなら、ひげを動かしてくれ!それが、イエスという意味さ。
それに、暗い穴に住んでいたんなら、暗くて狭い場所には、彼らより、
ずっと慣れているだろうしね」
 ミットキーは、太って、幸せになった。かごを抜け出そうとすること
さえ、忘れてしまった。ミットキーは、離ればなれになった、家族のこ
とさえ、忘れてしまったように見えた。もっとも、家族のことは、すこ
しも心配する必要がないことを、ミットキーはちゃんと知っていた。教
授が、冷蔵庫の後ろの穴を見つけて、直してしまったりしない限り。そ
して、教授は、冷蔵庫のことなど、まったく、考えてなかった。
「それで、ミットキー、この翼をつばさ設置しよう。これは、大気中で、着陸
時の衝撃を、やわらげてくれる唯一のものだよ。これは、ショックを吸
収して、飛行中の個室にいる、きみを、安全に、ゆっくり、着陸させて
くれるよ。たぶんね」
 ミットキーは、もちろん、「たぶんね」という、不吉な響きに気づか
なかった。それ以外の部分と、同様。そのときは、ミットキーは、すで
に説明したように、まだ、英語が話せなかったからだ。

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 しかし、オッペルバーガーは、ミットキーに、同じふうに話した。何
枚かの絵を、出してきた。
「きみの名前のもとになった、ねずみを、見たことあるかい?見せてあ
げよう!これが、オリジナルのミットキーマウスさ。ヴァルトディット
ズニーのキャラクター。ミットキー、きみの方が、ずっとかわいいけど
ね」
 教授は、小さな灰色のねずみに、熱心に、話しかけた。実際に飛ばせ
る、ロケットを作ることにも熱心で、ついに完成させた。教授は、真の
発明家ではなかった。ミットキーに説明した、ロケットが新型だという
ことは、そのまま、真実ではなかった。教授は、応用力にすぐれ、他人
のアイデアを使ったり、それを、実現することにけていた。教授の、
唯一の発明は、ロケット燃料だが、これも、新発見のようなものではな
かった。合衆国政府に、調査のため送られたが、既存の燃料と同じで、
新発見はなく、実際に使用するには、コストが高すぎるために、採用さ
れなかった。
「これは、純粋に、精度を調べたりする、数学的興味からなんだ」と、
オッペルバーガー。ミットキーに、説明した。「ここに、あるすべての
アイデアを、結びつけたりして、なにが達成できるかな、ミットキー?
 超スピードさ、ミットキー!想像を絶する、超スピード!上空の大気
を越えて、対流圏も成層圏も越えると、まだ分からないこともある。そ

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こには、空気抵抗はないと、考えられている。たぶんね。ロケットは小
さいから、空気抵抗は、無視できる」
 ミットキーは、少しも、気にしなかった。アルミ合金でおおわれた、シ
リンダーの中で、ミットキーは、太って、幸せだった。
「今日が、その日だよ、ミットキー。きみに、ウソは言わない。保証と
かはないけど、これから、危険な旅に行くんだ、親愛なる友よ。
 チャンスは、フィフティフィフティくらいかな、ミットキー。月か爆
発でなく、月に爆発、あるいは、たぶん、安全に地球に戻れるよ。ミッ
トキー、分かるよね?月は、緑のチーズでできてないんだ。そう見えて
も、きみは、チーズを食べるために、月に住むことはできないんだ。月
には、大気がないから、住めないし、ひげがあっても、だめなんだ。
 それなのに、なぜ、わしがきみを送るのかって?それは、ロケットが、
超スピードを出せないかもしれないからさ。それができなくも、別の実
験がある。ロケットが、もしも、月に行けなくても、地球に戻って来れ
るか?その場合、ある道具が、宇宙空間で知られてることより、多くの
情報をもたらしてくれるんだ。きみがもたらす情報は、きみがちゃんと
生存しているかどうかもそうだし、ショック吸収器具や翼がつばさ、地球のよ
うな大気でも、十分役立つかどうかということも。分かるかい?
 あとで、ロケットを、大気のある火星へ送ったときに、ショック吸収
器具や翼につばさ必要なサイズを、計算するためのデータを、もたらしてくれ

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るんだ。いずれにせよ、ミットキー、きみが戻れなかった場合でも、有
名になれるよ。地球の成層圏を越えて、宇宙へ出た、最初の生物として
ね。
 ミットキー、きみは、スターマウスになるんだ。ちょっと、くやしいね。
もしも、わしが、きみくらいのサイズなら、わしも行くのに!」
 今日が、出発の日だった。
「グッバイ、ミットキーマウス」と、オッペルバーガー。ロケットの個
室のドア越しに。
 暗闇。静寂。爆音。
「ロケットは、月に行かなければ、地球に戻ってくる」と、教授は、考
えていた。しかし、ねずみと人間の、スターマウス計画は、予想外の展
開になった。おもな原因は、プルックスだった。









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            3
 
 オッペルバーガーは、とても、寂しかった。話し相手のミットキーを、
送り出したあと、ひとりごとは、むなしく、つまらなく感じた。
 小さな灰色のねずみは、親しい友人のようで、よい話し相手だったが、
今は、送り出してしまった。もう1匹失うかどうかは、教授には、分か
らなかった。
 ロケットを発進させた夜の間じゅう、教授は、8インチ反射望遠鏡で、
ロケットの軌道を追うのに忙しかった。排気管の爆発は、追跡可能な、
小さな点の光跡を残した。
 しかし、そのつぎの日は、することがなかった。あまりに興奮してい
て、眠ろうとしても、眠れなかった。しかたなく、教授は、家事に専念
することにして、ポットやフライパンを洗った。そのときに、ちゅうち
ゅう鳴く声が聞こえた。見ると、ミットキーより小さく、ひげや尻尾も
短い、灰色のねずみが、鉄製のかごに入っていた。
「ほう」と、教授。「そこにいるのは、ミニート?ミットキーに会いに
?」
 教授は、生物学者ではなかったが、正しかった。彼女は、ミニートだ
った。ミットキーの妻であったから、そう呼ぶのは、正しかった。なん
の気まぐれで、彼女が、危険のないわなに入ったのか、分からないが、

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教授は、喜んだ。鉄製のかごは、危険なところを修正して、棒にさした
大きなチーズに、置きかえておいたものだった。
 こうして、ミニートは、教授の信頼にこたえるため、夫の代わりに、
やって来た。ミニートが家族のことを心配したかどうかは、知りようが
ないが、その必要はなかった。子どもたちは、もう、十分大きくて、自
分で食料を見つけられた。とくに、この家では、冷蔵庫の割れ目から。
「さて、ミニート」と、オッペルバーガー。「外は、もうじゅうぶん暗
いから、ミットキーの乗った、ロケットを見つけられるよ!宇宙を飛ん
でる、軌跡をね!それは、すごく小さいから、ほかの天文学者には、見
つけられない。飛んでることも知らないしね。でも、われわれは、場所
を知ってる。
 ミットキーは、もしも、このことを世界に発表したら、すごく有名に
なるよ、ミニート。そう、まだ、発表はしてないんだ。成功したら、す
べてを、すぐに、明日の朝にでも、発表しよう!
 ミットキーは、そう、ちゃんと、そこにいるんだよ、ミニート。抱き
かかえて、望遠鏡を見せてあげよう。ピントが、ミニートの目に、合っ
てないかもしれないけどね。
 およそ40万マイル先だよ、ミニート。今も、加速している。もう、
すぐだ。ミットキーは、予定通りで、今までの記録を上回るスピードに
達したよ。地球の引力圏を越えるのは、確実で、やがて、月に到着する」

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 ここで、ミニートが、たまたま、ちゅうちゅう鳴いた。
「そうだね、ミニート」と、オッペルバーガー。「もしかしたら、2度
とミットキーに、会えないかもしれないね、もしも、実験が失敗したら
ね。でも、その代わりに、ミットキーは、もっとも有名なねずみになれ
るんだ!スターマウスさ!地球の引力圏を、完全に越えた、最初の生物
としてね」
 夜は、長かった。上空に、雲が出てきて、視界をさえぎった。
「ミニート」と、オッペルバーガー。「そんな小さな鉄製のかごより、
もっと、居心地よくしてあげよう。棒もなくして、最新の動物園の、堀
で囲まれた動物のように、自由になれるよ!」
 雲が空をおおっていた1時間のあいだに、教授は、ミニートの新しい
家を作った。それは、厚さ0・5インチの1フィート角の、木枠の切れ
端で、テーブルの上にあって、囲いはなかった。
 ミニートの家の上部のはしを、金属ホイールでおおい、別の大きな木枠
を、ミニートの家を囲むように置いて、やはり、金属ホイールでおおっ
た。そして、金属ホイールどうしを、ワイヤでつないで、もう一方の端
を、近くに置かれた、変圧器につないだ。
「さて、ミニート」と、オッペルバーガー。「新しい島に引越ししよう!
そこには、チーズも水もあって、前より居心地がいいと感じるよ。ただ、
島のはしを飛び越えようとすると、1・2回の電気ショックが来るから、

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強いものじゃないけど、好きになれないと思う。2・3回で、すぐ、学
習できるさ」
 そして、雲が去り、また、夜。
 ミニートは、新しい島で、幸せだった。彼女は、すぐに学習して、内
側の金属ホイールを越えようとはしなかった。島は、ねずみ天国だった。
ミニートより高い、チーズのがけがあって、ミニートは、忙しかった。ね
ずみとチーズ、すぐに、一方は他方に変異した。
 しかし、オッペルバーガーは、別のことを考えていた。教授は、心配
だった。計算し、また、再計算し、屋根の穴を通して、8インチ反射望
遠鏡をのぞき、室の明かりを消して。
 そう、教授が独身であったことは、好都合であった。もしも、屋根に
穴を必要としても、文句を言うものは、いなかったからだ。冬が来たり、
いや、ただの雨でも、穴があったら、すぐに、大工を呼んだりして、防
水布で修理されてしまうだろうから。
 しかし、かすかな、光跡さえなかった。教授は、顔をしかめた。再計
算し、もう一度、再計算し、望遠鏡を、0・3分動かしたが、ロケット
は、見えなかった。
「ミニート、なにかがおかしい!」と、オッペルバーガー。「排気管が
噴射をやめてしまったか、あるいは」
 あるいは、ロケットが、出発点から直線状に、飛行していないかだ。

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直線とは、もちろん、速度以外のものに対して、放物線状にカーブして、
という意味だが。
 それで、教授は、唯一、できることをはじめた。望遠鏡による、より
広範囲の探索だ。予定コースから5度ずれたところから、さらに、方向
を変えながら、それを、見つけるまで、2時間かかった。やっと、それ
らしいと呼べる、唯一のもの、光跡が、あった。
 未知のものが、円を描いていて、円は、そこには、ありえないような、
何かの軌道からなっていた。だんだんとせばまる、渦のなかに。
 そして、消えた。どこかへ行ってしまった。暗闇。ロケットの噴射は、
消えた。
 教授は、ミニートを振り返って見たとき、顔は、青ざめていた。
「ありえん、ミニート」と、オッペルバーガー。「もし1方向の噴射が
止まったとしても、このような円を描くと思われない」紙と鉛筆で、式
を計算して、確認した。「それに、ミニート、ロケットは、ありえない
速度で、減速した。排気管がすべて噴射をやめたとしても、運動量は、
もっと━━━」
 残りの夜を費やしても、望遠鏡と計算で、手がかりは、まったく、つ
かめなかった。つまり、有力な手がかりは、なかった。ロケットのもの
でない力、予想される引力以外の、仮想の物体の力が働いていた。
「かわいそうな、ミットキー」と、オッペルバーガー。灰色の不可思議

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な夜明け。「ミニート、これは、秘密にしておこう。見たことは、あま
りに信じられないので、発表しない方がよい。まだ、信じられないよ、
ミニート。たぶん、睡眠不足で、疲れてるせいだな。見たものから、推
測しなければならないのだが」
「しかし、ミニート」と、オッペルバーガー。しばらくして。「まだ、
望みはある。そこは、40万マイル先だから、地球に落ちてくる可能性
もある。どこか言うことは、できないが、もしも、落ちてくるなら、コ
ースを計算できる。ただ、このような円をいくつも回った後だと、アイ
ンシュタインでも、ロケットがどこに着陸するか、計算できないよ、ミ
ニート。わしでさえな。できることは、落ちた音を聞くことだけだ」
 曇りの日。そして、謎をねたむような、真っ暗な夜。
「ミニート、かわいそうな、ミットキー」と、オッペルバーガー。「原
因がなにか、不明だ」
 しかし、なにかは、あった。小惑星だった。







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            4
 
 プルックスは、小惑星だった。ただ、地球の天文学者は、そう、呼ん
でなかった。単に、まだ、発見されてなかったからだ。小惑星人の名に、
1番近い発音で、それを、呼ぼう。そう、小惑星には、人がいた。
 そう考えると、オッペルバーガーの、月へロケットを送る試みは、奇
妙な結果になった。月ではなく、プルックスへ。
 しかし、小惑星が、酔っ払いを更正させることができるのだろうか?
チャールズウィスロウは、コネチカット州ブリッジポートに住む、ただ
の酔っ払いだったが、ある日、グローブ通りの近くで、1匹のねずみに、
ハートフォードへの道をかれて、酒を、いっさい口にしなくなった。
そのねずみは、明るい赤のズボンをはいて、あざやかな黄の手袋をして
いた。
 しかし、それは、オッペルバーガーがロケットを見失ってから、15
ヶ月後のことだった。話を、もとに、戻そう。
 プルックスは、小惑星だった。地球の天文学者からは、夜空の害虫と
呼ばれる、軽蔑すべき天体のひとつだ。恒星や星雲を観察していると、
不規則な光跡で邪魔をしてくる、やっかいもの。暗夜の犬に、5千匹も
わいたノミ。
 小惑星のほとんどは、ちっぽけな天体だ。最近、天文学者によって、

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小惑星のいくつかは、地球に接近することが分かった。かなり近くまで。
1932年には、驚くことに、アモーが、1千万マイルまで接近した。
天文学的には、ほんの、5番アイアンの距離だ。同じ年に、アポロが、
その中間点を通過した。1936年には、アドニスが、150万マイル
まで近づいた。
 1937年、ヘルメスは、50万マイルより近くまで。天文学者は、
その軌道を計算して、驚いた。直径1マイルのこの小惑星は、月よりも
近い、22万マイルまで接近していたのだ。
 ある日、天文学者たちは、直径375メートルのプロックスを見つけ
て、さらに、驚くかもしれない。この天体は、宇宙の障害物で、月を横
切ったり、地球に、ほんの10万マイルまで、接近したりすることもよ
くあった。
 プロックスは、光を反射しないので、別の天体を横切る影でしか、発
見できなかった。プロックス人は、数百万年前から、地下から抽出した、
光を吸収する黒い色素で、小惑星全体をコーティングして、光を反射し
ないようにしていた。世界をコーティングするような大事業をおこなっ
たのは、プロックス人の背丈は、0・5インチしかなかったからだ。軌
道がずれても、敵から安全にいられるように。火星に生命がいた時代に
は、衛星のデイモスには、背丈8インチの凶暴な巨人たちが住んでいた。
彼らは、絶滅する前に、2回、地球にやってきた。楽しみのために、さつ

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りくをおこなう、凶暴な海賊のような巨人たちであった。デイモスの地下
には、今は眠る都市の遺跡の記録に、恐竜になにが起こったかが、記さ
れていた。恐竜の絶滅後の、宇宙の歴史でいえば、数分後に、繁栄して
いたクロマニヨン人が、その絶頂期になぜ、消滅したかについても。
 しかし、プロックスは、生き残った。太陽の光を反射しない、ちっぽ
けな世界だが、軌道がずれたとしても、宇宙の侵略者からは、守られて
いた。
 プロックスは、数百万年の文明の歴史があった。黒の保護コーティン
グは、維持され、定期的に塗り直された。後に、たびたび現われた敵に
対する恐れというよりは、伝統として、維持されてきた。プロックスの
文明は、力強いが、停滞していた。飛び出す弾丸のような、危うさの上
に、存在していた。
 そして、ミットキーマウスが現われた。
 クラロフは、科学学会の主任科学者であるが、助手のベムジの肩を、
ベムジが肩を持っていたとして、その肩のあたりを、軽く叩いた。
「見ろ!」と、クラロフ。「プロックスに、なにかが近づいてくる!あ
きらかに、人工的な推進力だ!」
 ベムジは、電子パネルを見て、思考波を送った。パネルは、すぐに、
反応した。
「製造されたもののようです」と、ベムジ。「非常に、原始的です。単

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35
























































純な、爆発で飛行する、ロケットです。どこから来たのか、調べます」
 ベムジは、ふたたび、パネルに思考波を送ると、コンピュータの神経
コイルは、すぐに計算して、答えを出した。答えは、思考波で、ベムジ
とクラロフに送られた。
 正確な出発地点と、正確な出発時間。軌道の曲線や、プロックスの重
力が影響した部分。もとの目的地は、あきらかに、地球の月だった。も
しも、ロケットのコースが変わってない場合の、到着時と到着場所。
「地球だって?」と、クラロフ。意外そうに。「前に調査したときは、
宇宙ロケット開発まで、相当、時間がかかるように見えたが。十字軍や
宗教戦争が続いていた星だろ?」
「ええ」と、ベムジ。「鎧やよろい、弓矢の時代でした。それ以来、大きな進
歩があったのかもしれません。これが、実験的なものだとしても。着陸
する前に、破壊しますか?」
「いいや」と、クラロフ。考えながら、頭を振った。「じっくり調べる
ことにしよう。地球に行く手間が、省けるかもしれん。ロケットを調べ
れば、現在の発達段階がわかる」
「それなら、報告しますか?」
「もちろん。基地に、連絡して、ロケットの着陸を誘導するように。爆
発物は、無力化するのを忘れずに」
「この場合は、一時的なフォースフィールドを使用しますか?」

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37
























































「それがいい」
 それで、プロックスには、ロケットの翼がつばさ機能するような大気が、ま
ったくないにもかかわらず、ロケットは安全にゆっくり飛行した。暗い
個室にいるミットキーは、うるさい爆発音が消えて、ホッとした。
 ミットキーは、気分がよくなった。個室に、自由に置かれていた、チ
ーズを少し食べた。それから、個室に並べてあった、1インチの厚さの
木片を、かじって、穴をあけた。この木片は、オッペルバーガーが、ミ
ットキーの精神的ケアを考えての、アイデアであった。なにかをかじっ
たりしていれば、気晴らしになるからだ。この教授の考えは、うまく機
能して、ミットキーは、いつも忙しく、暗くてひとりでいる寂しさを感
じることはなかった。今は、外は静かだったが、ミットキーは、ずっと
かじり続け、ずっと幸せに感じた。木片に穴をあけると、その先は、金
属で、かじれないことには、気づかなかった。
 一方、クラロフとベムジ、それに、プロックスの大勢の人々は、彼ら
の頭より高くそびえる、巨大なロケットを見上げて、立っていた。子ど
もたちの何人かは、フォースフィールドのことを忘れて、近づきすぎて、
頭をぶつけて、後ずさりした。
 クラロフは、サイコグラフを調べた。
「ロケットの内部に、生命体がいる」と、クラロフ。「しかし、印象は、
混乱している、動物だが、思考を読み取れない。さっきまで、そいつは、

40

39
























































歯を使って、なにかをしていたようだ」
「地球人では、ないようですね」と、ベムジ。「地球の支配種族のひと
つですが、そいつらは、この巨大なロケットよりも、さらにずっと、大
きいですから。たぶん、人を乗せるロケットを作れずに、実験的な動物
を乗せたのでしょう。ここの、ウーラスのような」
「わしも、そう思うよ、ベムジ。そいつの思考をよく調べれば、地球の
調査1回分くらいにはなりそうだ。ドアを、こじあけるとしよう」
「しかし、地球の生物は、重くて濃い空気を、必要とするので、ここで
は、生きられません」
「もちろん、フォースフィールドは、維持する。内部の空気を、保つた
めに。ロケット内部には、あきらかに、空気の発生装置がある。そうで
なければ、その生物は、宇宙旅行に耐えられなかっただろう」
 クラロフは、制御装置を操作して、フォースフィールドを、見えない
ポッドの形にし、ロケットの外部推進ドアから、個室に通じる、内部ド
アの鍵をあけた。巨大なドアから、モンスターのような灰色の頭が出て
きたとき、プロックス人の誰もが、息をのんだ。太いヒゲは、どれも、
プロックス人の身長ほどもあった。
 ミットキーは、飛び降りて、前に踏み出したとき、目に見えないなに
かに、黒い鼻を強くぶつけた。ちゅうちゅう鳴いてから、ロケットまで
ジャンプして戻った。

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41
























































 ベムジは、モンスターを見上げたとき、嫌悪の表情を浮かべた。「あ
きらかに、ウーラスより劣る。光線の力を借りても、同じだろう」
「いや、まったく、違う」と、クラロフ。「きみは、あきらかな事実を
忘れているようだね。あの生物は、もちろん、知性がない。しかし、す
べての動物の潜在意識は、すべての記憶、印象、イメージを、ずっと保
持しているということを、忘れたのかね?もしも、この生物が、今まで
に、地球人の話を聞いたり、あるいは、なんらかの仕事を、このロケッ
トのことはさておき、見たりしたら、すべての言葉やイメージは、深く
刻まれている。わしの言っていることが、分かるかね?」
「ええ、そうでした」と、ベムジ。「私が、バカでした、クラロフ主任。
ロケットから明らかなことが、ひとつあります。地球の科学は、この先、
少なくとも、数千年は、恐れる必要はないということです。急ぐことは
ないし、それは、幸運でした。生物の記憶を誕生まで戻して、サイコグ
ラフにあるイメージが、なにを意味するのか調べるには、そのときの年
齢と同じ時間に加えて、われわれが解釈し、それぞれに対応してゆく時
間があれば、なんとかなります」
「しかし、そんな必要があるのかね、ベムジ?」
「必要がない、というと、X19光線のことですか?」
「その通り!この生物の脳の中心に焦点をあてれば、彼の記憶に影響す
ることなく、彼の知能を上昇させるように、かなり繊細に、調整するこ

44

43
























































とができる。今は、たぶん、0・0001レベルだが、相応の知能レベ
ルまで、上昇させられる。プロセスは、まったく自動的で、いろいろな
記憶を、それらを記憶した、まさにそのときに、彼が知性的であったか
のように、それらを理解して、吸収できるのだ。
 分かったかね、ベムジ。彼は、自動的に、関連のないデータを整理し
て、われわれの質問に答えてくれるのだ」
「しかし、彼を、われわれのレベルまでに?」
「まさか。X19光線は、そこまではできない。わしが言っていたのは、
だいたい、0・2レベルだ。あのロケットから判断し、かつ、前回の地
球人の調査から、現在の知能レベルを考えると、そのあたりだ」
「分かりました。そのレベルなら、彼は、地球での経験を理解しても、
われわれに危険が及ぶことは、なざそうです。地球人の知能レベルと同
じで、われわれの目的にもかなってます。そのとき、われわれの言語を
教えますか?」
「それは、どうかな」と、クラロフ。サイコグラフを、詳細に検討した。
「いや、教えない方がよいようだ。彼には、自分自身の言語がある。彼
の潜在意識には、長い会話の記憶がある。奇妙なことに、そのすべては、
ひとりの人間の、ひとりごとのようだ。しかし、単純だが、言語がある。
長い間、聞いていたもので、われわれの会話で概念を把握するのと、同
じ手法を使っている。X19光線のあとなら、彼から、数分で学べる」

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45
























































「今、彼は、その言語を、理解しているのでしょうか?」
「いや、そうは、思えない」と、クラロフ。サイコグラフを、ふたたび、
詳細に検討した。「おっと、1つの言葉が、なにかの意味をもっている。
ミットキー。どうも、それは、彼の名前のようだ。なんども聞いていて、
彼は、あいまいに、それを、自分自身に結び付けている」
「あとは、彼のために、ロケットに、エアロックなどを付けますか?」
「そう、それがいい。ロケットの改造を、お願いしてくれ!」



            5
 
 ミットキーには、奇妙な経験だった。といえば、かなり、控えめな表
現だ。知識は、徐々に獲得されても、奇妙なものだ。それが、いきなり、
もたらされたら━━━。
 とくに、矯正されたことは、なかった。声帯くらいだ。彼の声帯は、
彼の言語に、適応してなかった。ベムジが、矯正した。それは、手術と
いうほどのものではなかった。ミットキーは、知識を得たあとでさえ、
なにが進行中か分かっていたし、いろんなことに気づいてもいた。ただ、
Jディメンションについては、ミットキーに、説明されなかった。それ

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は、がいえんを理解することなしに、物事の本質が分かる能力だった。
 彼らは、ミットキーの視点のようには、物事を理解してなかった。そ
れで、ミットキーに教えるよりも、ミットキーから教わることに、夢中
になった。ベムジとクラロフに、さらに、12人が、特権を与えられた。
誰かが、ミットキーと話してないと、すぐに、別の誰かが、話しかけた。
 彼らの質問で、ミットキーの理解も増した。ミットキーは、ふつう、
質問されるまで、答えを知らない。質問されると、答えを、知らないま
ま、知識をつなぎ合わせ、答えにした。
「きみが話す、この言語は、世界中で使われている?」と、ベムジ。
 ミットキーは、それについては、前に考えたことなかったが、すぐに、
答えた。「いいえ、違います。それは、英語です。教授は、他の方言も、
話していたのを覚えています。ほかの独自の方言も話しますが、アメリ
カでは、英語が一般的で、なじみがあります。美しい言語だと、思いま
せんか?」
「ふ〜む」と、ベムジ。
「きみの種族は、ねずみだね」と、クラロフ。「扱いは、どうだね?」
「ほとんどの人は、ひどい扱いです」と、ミットキー。「ぼくは、仲間
のために、なにかしてあげたい。ぼくにしてくれた、X19光線を、持
ち帰っても、いいですよね?仲間にも照射して、スーパーマウス軍団を
作りたいんです」

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「なぜ、だめなんです?」と、ベムジ。
 ベムジは、クラロフを、不思議そうに見て、テレパシーで問いかけた。
ミットキーは、テレパシーには、参加できなかった。
「ええ、もちろん」と、ベムジ。クラロフに、テレパシーで。「それは、
地球でトラブルを起こすかもしれません。深刻なトラブルをね。ねずみ
と人間のような、非常にかけ離れた生物クラスは、友好的には、共存で
きないでしょう。しかし、それは、われわれには、関係ないことです。
単に、好き嫌いの問題です。混乱が起こって、地球の進歩を遅らせるで
しょう。地球人が、われわれを発見して、トラブルが起こる日が来るま
でに、数千年の平和を、もたらしてくれます。地球人のことですから」
「しかし、きみは、X19光線を、彼らに渡せと言うのか?その結果は」
「違います、もちろん、違います。ミットキーには、一番、単純で、限
定的な、機械の作り方を教えましょう。単に、ねずみの知能を、0・0
001から0・2に、高めるだけの原始的なものです。0・2は、今の
ミットキーのレベルで、地球人のレベルでもあります」
「それなら、いいかもしれん」と、クラロフ。テレパシーで。「彼らに
は、永遠に、その原理は分かるまい」
「しかし、その単純な機械で、自分たちの知能レベルを、高めてしまう
かもしれません」
「きみは、忘れているよ、ベムジ。X19光線の限界を。X19光線の

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プロジェクターの製造者は、自分の知能レベルを越えるレベルに上げる
ように、設計することができないということを。われわれでさえね」
 これらの会話は、プロックス人の間だけのテレパシーで、ミットキー
には、分からなかった。
 ミットキーへの質問は、まだ、続いた。
「ミットキー」と、クラロフ。「1つのおかしな警告だが、電気には、
気をつけるように!きみの脳の中心の、新しい分子再配列は、電気ショ
ックには、不安定だから」
「ミットキー」と、ベムジ。「きみの教授は、ロケット実験の最先端の
科学者のなかで、もっとも、優れていると思うかい?」
「だいたい、そうです、ベムジさん」と、ミットキー。「化学、数学、
宇宙工学のような、それぞれの分野で、優れた人はいますが、彼らは、
自分の専門以外は、知りません。これらの知識を結びつけて、応用する
分野で、教授は、トップです」
「それは、すばらしい!」と、ベムジ。






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 小さな灰色のねずみは、0・5インチのプロックス人の前では、恐竜
のように、そびえ立っていたが、草食動物のように、おとなしかった。
ミットキーは、ひとかみで、彼らを殺せたが、もちろん、そんなことは
しなかった。彼らも、ミットキーがそんなことをすると、思ってもいな
かったし、恐れてもいなかった。
 彼らは、ミットキーの心の中に、入り込んだ。心理的に、よく調べた
が、それは、ミットキーが知らない、Jディメンションを通じて、行わ
れた。
 彼らは、ミットキーの心理的しくみを調べ、ミットキーが知っている
ことを調べ、ミットキーが知っていることも知らないことを調べた。や
がて、ミットキーを、みんな好きになりだした。
「ミットキー」と、クラロフ。ある日、言った。「地球の文明化された
種族は、みんな、服を着ているんだろ?きみは、ねずみから人間へ、レ
ベルアップしたんだから、服を身に着けては、どうだい?」
「すばらしい考えです、クラロフ主任」と、ミットキー。「ぼくに合っ
た服を、知ってます。教授が、一度、ディットズニーが描いた、ねずみ
の絵を、見せてくれました。そのねずみは、服を着てました。リアルな
ねずみでなく、おとぎの国の、想像上のねずみです。教授が、そのねず

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みの名から、ぼくを、ミットキーと名づけてくれたんです」
「どんな服なんだい、ミットキー?」
「明るい赤のズボンで、前と後ろに、ふたつずつの大きな黄のボタンが
付いてます。それに、うしろ向きの黄の靴に、前には、両手に黄の手袋。
ズボンには、しっぽを通す穴があります」
「オーケー、ミットキー。それらを、5分で用意させよう」
 それは、ミットキーの出発の前の日のことだった。ベムジの最初の提
案は、プロックスのエキセントリックな軌道が、地球に、15万マイル
まで接近するまで待とう、というものだった。しかし、これは、クラロ
フが指摘したように、地球年で、55年先で、ミットキーはそこまで生
きられない、ということから取り下げられた。ベムジは、地球へのルー
トを、なるべく危険のないものにすることで同意した。
 ミットキーのロケットに燃料を、ふたたび、入れることについては、
ミットキーが飛ぶ、125万マイルの分を越える燃料は、自ら消滅する
ような仕組みを加えることになった。ロケットの着陸時に、残された燃
料は、自己消滅するため、別のことに使われる心配はなくなった。
 ミットキーの出発の日。
「われわれは、ベストを尽くしたよ、ミットキー」と、クラロフ。「ロ
ケットの出発日についても。到着場所は、出発地点の近くにした。ただ、
その正確性には、あまり、期待しないでくれ!最悪でも、その近くには、

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着陸できるはずだ。あとは、きみの腕次第だ。ロケットは、あらゆる危
険事態に対応できる装備があるからね」
「ありがとう、クラロフ主任」と、ミットキー。「ベムジさんも、さよ
うなら」
「グッバイ、ミットキー」と、クラロフ。「きみと別れるのは、つらい
ね」
「グッバイ、ミットキー」と、ベムジ。
「さようなら、さようなら━━━」


            7
 
 125万マイルの飛行としては、ねらいは、実に、正確だった。ロケ
ットは、ロングアイランドサウンドの、ブリッジポートから10マイル、
ハートフォードのオッペルバーガー教授の家から60マイルのあたりに、
着水した。
 海に着水した場合のことは、もちろん、想定されていた。ロケットは、
海面から数十フィートまでは、上向きに降下し、そのあいだに、ミット
キーは、ドアをあけ、飛び降りた。このドアを内側からあけられる機能
は、特別に追加された機能だった。

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 服の上に、さらに、ダイビングスーツを着ていて、海水にもぐっても
大丈夫だった。海水より軽かったので、浮上して、すぐに、ヘルメット
をひらくことができた。
 1週間分の、合成食料が積み込まれていたが、飛行が順調だったので、
必要とはならなかった。ボストンからブリッジポートへの夜の定期便が、
錨のいかり鎖の上に乗せて、ミットキーを運んだ。ミットキーは、陸が見えた
ときに、ダイビングスーツをぬいで、浮いていた個室に穴をあけて、沈
めるときに、いっしょに海底へ沈めた。これは、クラロフと約束したこ
とでもあった。
 ほとんど、本能的に、ミットキーは、オッペルバーガー教授の家に着
いて、話をするまでは、人間を避けた方がよいことを知っていた。もっ
とも危険なのは、泳ぎ着いた岸壁にいる、どぶねずみたちだった。彼ら
は、ミットキーの10倍はあって、ふた噛みで、ミットキーを八つ裂き
にできる歯をもっていた。
 しかし、心は、いつも、物質に勝利した。ミットキーは、目立つ黄の
手袋をして、「さっさと出てけ!」と言うと、どぶねずみたちは、立ち
去った。どぶねずみたちは、ミットキーのようなねずみを見たことがな
く、強く印象に残った。
 ミットキーがハートフォードへの道をいた、酔っ払いも、そうだっ
た。このことについては、前に語った。これは、ミットキーが、へんな

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人間と、直接、話そうとした、唯一のできごとだった。ミットキーは、
もちろん、注意を怠らなかった。すぐに逃げ込める穴から、数インチの
ところで、道をいた。しかし、ミットキーの質問に答えようともしな
いで、穴に逃げ込んだのは、酔っ払いの方だった。
 町の北の端で、ガソリンスタンドの影に隠れて、ハートフォードへ向
かう運転手が、ガソリンを入れにくるまで待って、車に乗り込んだ。
 そのあとは、困難はなかった。プロックス人たちの計算では、ロケッ
トの出発点は、教授との会話で、ミットキーがハートフォードだと知っ
た、都市の北西5マイルのところであった。
 ミットキーは、そこに着いた。
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「教授、お元気?」
 オッペルバーガーは、驚いて見上げた。そこには、誰もいなかった。
「誰だね?なんだね?」と、オッペルバーガー。空気に。
「ぼくですよ、教授、ミットキーです。あなたが月に送った、ねずみの。
ぼくは、月には行かずに━━━」
「なんじゃと?そりゃ、ありえん!だれだ、こんな悪ふざけを━━━し、
しかし、ロケットのことは、誰も知らないはずだ。失敗したから、誰に
も話さなかった。わし以外は、誰も━━━」

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「それに、ぼく以外はね、教授!」
 オッペルバーガーは、深く、ため息をついた。
「働きすぎだな。みんなが言うように、少しは休暇を━━━」
「違いますよ、教授!ほんとに、ぼくです!ミットキーです!今、ぼく
は、話せるんです、あなたと同じように!」
「ミットキーだと?信じられんな。なぜ、姿が見えん?どこにいるんだ
ね?なぜ、そのような━━━」
「隠れてるんです、教授。壁の大きな穴で。すべてが、大丈夫と思える
まで。教授が、興奮したり、ものを投げたりしないように」
「なんじゃと?なぜだ、ミットキー。もしも、ほんとうに、ミットキー
なら、わしが、眠っていたりとかじゃないなら、わしが、そんなことを
せんことも、知ってるはずだろ?」
「分かりました、教授」
 ミットキーは、壁の穴から、出てきた。オッペルバーガーは、ミット
キーを見て、目をこすり、もう一度、見て、目をこすった。
「目がおかしい」と、オッペルバーガー。「赤のズボンに、黄の━━━
ありえん!目がおかしいようだ」
「違います、教授、聞いてください!すべてを、お話します」
 ミットキーは、オッペルバーガーに話した。
 灰色の夜明けが来ても、小さな灰色のねずみは、まだ、熱心に話し続

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けた。
「そうですね、教授。ぼくは、あなたの言う意味は、分かります。知的
なねずみ種族と、知的な人間種族が、うまくやってゆくことはできない
というのは、確かにそうです。しかし、うまくやってゆく必要なんてな
いんです。ぼくが言ったように、一番小さな大陸のオーストラリアには、
多くの人間はいません。彼らには、別の場所に移住してもらって、その
大陸を、ぼくたちねずみ種族に、提供してくれればいいんです。ぼくた
ちは、この大陸を、オーストラリアならぬ、マーストラリアと呼びます。
首都のシドニーも、ディットズニーに敬意を示して、ディットズニーと
呼びます━━━」
「しかし、ミットキー━━━」
「教授、もしも、その大陸を提供してくれたら、すべてのねずみは、そ
こへ行きます。最初、数匹のねずみたちの知的レベルをあげて、彼らが
他のねずみたちを、X19光線に当てるのを手伝います。そして、その
ねずみたちが、さらに、別のねずみたちをと、雪だるま式に増えていか
せるのです。人間たちと衝突することは、ありません。マーストラリア
にとどまり、食料も自分たちで調達して━━━」
「しかし、ミットキー━━━」
「そうですね、ぼくたちが、人間たちに提供できるものがあるとしたら、
教授。人間の最悪の敵である、どぶねずみを抹殺できます。ぼくたちも、

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どぶねずみは嫌いです。1千匹のねずみ軍団が、ガスマスクとガス爆弾
で武装して、1日か2日で、1都市の、どぶねずみのすべての穴から、
すべてのどぶねずみを駆除できます。全世界から、1年以内で、すべて
のどぶねずみを、駆除できます。同時に、残っているすべてのねずみを
捕らえて、知的レベルを上げて、マーストラリアに運び━━━」
「しかし、ミットキー━━━」
「だめですか、教授?」
「うまくゆくかもしれんし、うまくゆかないかもしれん。きみは、どぶ
ねずみを駆除できるだろうが、利害の対立から、そのうち、ねずみたち
は、人間たちを抹殺し始めるだろう。あるいは、人間たちが━━━」
「そんなことは、しません、教授。武器を、そんなふうには━━━」
「そうかね、ミットキー?」
「絶対に、ありません。もしも、人間が、ぼくたちの権利を尊重すれば、
ぼくたちだって━━━」
 オッペルバーガーは、ため息をついた。
「わしは、きみたちの仲介者として、行動するよ、ミットキー。そして、
きみたちの宣言を公表して━━━そうだね、どぶねずみの駆除は、人類
への大きな贈り物になる。だが━━━」
「ありがとう、教授」
「ところで、ミットキー。ミニートがいるんだよ、きみの妻の、つまり、

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まだ、きみが再婚してなければ、だが。ミニートは、別の室にいる。き
みが帰ってくる前に、ここに招待してある。今は、たぶん、暗いところ
で眠っていると思う。彼女に会いたいかい?」
「妻?」と、ミットキー。
 ミットキーは、家族のことを、長いあいだ、完全に忘れていた。記憶
は、徐々に、よみがえった。
「そうですか」と、ミットキー。「ふ〜ん、そうですか。彼女に当てる
ために、ぼくは、早く、小さなX19光線プロジェクターを作らなけれ
ばならない。それがあれば、あなたが政府と交渉する際に役立つでしょ
うし、ぼくが、気まぐれなんかではないということも、分かってくれる
でしょうから」
 繊細な話ではなかった。少なくとも、それまでは。というのは、オッ
ペルバーガーは、クラロフが、ミットキーに伝えた、きみの脳の中心の、
新しい分子再配列は、電気ショックには、不安定という、警告を知らな
かったからだ。
 ミットキーが、ミニートが棒のないケージにいる室へ入ろうとした時、
オッペルバーガーは、電気をつけに室に戻った。ミニートは、眠ってい
た。そして、彼女を見たとき━━━昔の日々の記憶が、閃光のように、
よみがえった。突然、ミットキーは、自分が、それまで、どんなに孤独
だったかに気づいた。

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「ミニート!」と、ミットキー。彼女は、理解できないことを思い出し
ながら。
 そして、ミニートの寝ているボードに駆け上がった。
「ちゅうちゅう」
 2枚の金属ホイルのあいだの、軽い電流が、ミットキーを流れた。
 




            エピローグ
 
 しばらく、沈黙があった。
「ミットキー」と、オッペルバーガー。「戻って、そのことを考えよう
!」
 オッペルバーガーは、室に入って、2匹を見た。夜明けの灰色の光の
中で、小さな灰色の2匹のねずみは、幸せそうに、互いに毛づくろいし
ていた。どちらが、どっちなのか分からなかった。ミットキーの歯が、
赤や黄の服を、突然、うるさくやっかいで変に感じて、かみきってしま
ったからだ。

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「なにがあったんだい?」と、オッペルバーガー。電流のことを思い出
した。「ミットキー、もう、話せないのかい?電気が━━━」
 沈黙。
「ミットキー!」と、オッペルバーガー。笑顔になった。「わしのかわ
いい、スターマウス!きみは、前より、ずっと、幸せだろ?」
 2匹を、しばらく、やさしく見守ったあと、電気バリアのスイッチを
切った。もちろん、2匹は、自由になったことを知らないので、オッペ
ルバーガーは、2匹をつまみあげ、床の上に、そっと、置いた。1匹は、
すぐに、壁の穴に向かって、走った。もう1匹は、ついてゆこうとして、
周りを眺め、小さな黒い目に、一瞬、とまどいの表情を浮かべたが、す
ぐに、消えた。
「グッバイ、ミットキー。きみは、これで、前より、ずっと、幸せにな
れるよ。それに、チーズは、いつでもあるしね」
「ちゅうちゅう」と、小さな灰色のねずみ。穴の中へ、飛び込んだ。
「グッバイ━━━」という意味だったのかもしれない。
 
 
 
                            (終わり)


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