存在のわな
            原作:フレドリックブラウン
            アランフィールド
             
             
             
 世界人名事典、2090年度版
   ディックス、ジョン、2060年2月1日生、男、
    ルイビル ケンタッキー州 USA、
    父:ハーベイ、R(店員)、母:エリザベス(ベイリー)
    学歴:ルイビルパブリックスクール、2066−2074
    職歴:14才で家出、ボーリング店員、ホテルボーイ
    拘置:6ヶ月、バーミンガム アラバマ州、2078
    軍歴:US陸軍に志願、2079
    二等兵で参戦:CN−US戦争(2079−2081)




2

1





    パナミントの戦闘で行方不明:カリフォルニア州、2081
    革命を指揮:2082
    アメリカ大統領:8月5日、2082
    北米独裁者:4月10日、2083
    死去:23才、6月14日、2083





            プロローグ
 
 機銃陣地のコンクリート壁はまだ湿っていた。ジョニーディックスは
スリットから機銃の先を見ながら、壁にさわって、イエローモンキーの
銃弾を防いでくれることを祈った。
 濃い煙の重厚なとばりが、パナミントの山腹にたなびいていた。背後
の斜面から、US軍の砲撃が、雷のようにとどろいていた。前方には、
1マイルもないところに、CN軍の戦車隊が大きな音で迫っていた。
 ジョニーディックスは戦争のあまりに近くにいたために、これが転換
点であることを見ることも知ることもできなかった。CN軍のカリフォ

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3





ルニアへの奇襲攻撃は━━━ICBMが両国の主要都市のほとんどを
れきと化したあとでも、まだ、勝敗の行方は定かでなかった━━━これ以
降、CN軍は海へ追いやられ、戦争は終結するだろう。
「やつらが来る!」ジョニーディックスは肩を後ろに引いた。仲間の耳
がわずか数インチのところにあったが、ジョニーはリフレインのように
叫んだ。ここが、最後の重装備の防衛ラインだった。背後は死の谷だ。
もしも彼らがこの広い乾燥した荒地に追いやられたら、その名前の通り
になるだろう。広い場所で、小麦のように、なぎ倒されるだろう。
 しかしこの数日間、パナミントの防衛ラインは持ちこたえていた。空
軍の攻撃にも、地上部隊の攻撃にも、耐えた。攻撃の勢いは弱まった。
数百ヤード押し返してさえいた。この機銃陣地は、夜のあいだに闇にま
ぎれて急造された新しい前哨基地の1つだった。
 なにか黒く醜いもの、巨大な戦車の鼻先が煙ともやの中から現われた。
ジョニーディックスは機銃の熱くなったハンドグリップを握って撃ちま
くったが、怪物には通用しなかった。彼は仲間をひじでこづいて叫んだ。
「戦車は地雷の上だ!スイッチを急いで!今だ!」
 彼らがうつ伏せになっている下の地面は、爆発した地雷の恐ろしい衝
撃でゆれた。巨大な戦車をただの鉄クズにした爆発で、耳が聞こえず、
一時的にほとんどなにも見えなくなった彼らは、戦闘機の悲鳴を上げる
ような急降下が聞こえなかった。

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 それがリリースした爆弾は、彼らの数ヤード先で炸裂した。機銃陣地
はもはや存在しなかった。
 一瞬で全員が殺された。しかし、1つだけは生きていた。生命はなか
なか死なないこともある。ジョニーディックスだったものは、うごめき、
ころがった。1本の手は、もう1本はどこかへ行ってしまった、まわり
を連打した。指は、数ヤード先にある機銃のグリップを捜すかのように
はいまわった。1つの目は、かつて鼻があった血だらけにあいた穴の上
で、見えないながら、上を見つめていた。ヘルメットは吹き飛ばされて
も、中に髪と頭の皮は残っていた。
 ずたずたに切り裂かれたものは、もはや生きてなかった、しかし、ま
だ死んでもなかった。ふたたびよじれ、って動き始めた。
 戦闘機はふたたび旋回して戻ってきた。突き出た機銃から放たれた無
数の弾丸で、破壊のうねを耕していった。そこを、ヒザから上だけで
うなにかが横切った。死にかけた指は、発作的に地面につかみかかり離
した。
 ジョニーディックスは死んだ。しかし死の瞬間に髪の毛ほどの正確さ
で同時に、なにかが起こった。ずたずたに切り裂かれた彼の体は、生き
ていた。これは、23才で死ぬ前の8ヶ月間北米独裁者だったジョンデ
ィックスに関する項目を書いた、世界人名事典の編纂へんさん者たちも知らなか
った、物語の一部である。

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            1
 
 名前のない存在、それをストレンジャと呼ぼう、空間移動中にある空
間で停止した。彼は、今まで見たことのないものを認識した。
 彼は空間を移動してきた。ここのではない。別のだ。そう、ここは、
物質の空間。しかし、彼は、意識の発散を認識した。それはパラドック
スで矛盾を含んでいる。意識の空間はあり、物質の空間もある。しかし、
両者は同時には存在しない。
 ストレンジャは、空間に物質的地点はない、意識の集中した、ある存
在で、物質空間で渦巻く恒星の真っ只中に、停止した。これらは彼にと
ってはなじみのあるもので、すべての物質空間に共通だ。しかし、ここ
に、なにか別のものがあった。意識があるべきでないところに、意識が
あった。聞いたことのない意識。彼の認識では、それは物質に結びつい
たものだと言ってるが、概念の完全な矛盾だった。物質は物質で、意識
は意識だ。両者はひとつではあり得ない。
 発散は弱まった。彼は時間の速度を下げれば、発散を強くできること
に気づいた。時間の速度を、極限まで下げ続けてから、それに戻った。
今、それはクリアになった。しかし、恒星はもはや渦巻いてなかった。
ほとんど動きのないまま、無限に曲がったカーテンにぶら下がっていた。
 ストレンジャは今、動き出し、思考の焦点をシフトさせた。あいまい

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な発散がやって来る恒星に向かって。彼が今、認識する、恒星の第3惑
星に向かって。
 それに近づき、惑星を包むガス状のものの外側にいた。ここでふたた
び停止して、当惑しながら、この下にいるであろう驚くべきものを分析
し、理解しようとした。
 彼の下にあるのは、何百万、いや、何十億という存在だった。このご
くちっぽけな小さな空間に、彼がとおってきた空間における以上の数の存
在があった。しかも、この小さな存在は、それぞれが、物質の小さなか
たまりに閉じ込められていた。
 
               ◇
 
 どんな宇宙の大変動が、どんな空間ワープで、このような不可能なも
のを作り出せるのだろう?無数の意識空間のひとつから、これらの存在
は、どんな未知の方法で、どんな理由によって、ありえない意識と物質
の誤った結びつきを生じさせたのだろうか?
 彼は知覚をひとつの存在に集中させようとした。しかし、惑星の表面
から立ちのぼる無数の発散が、あまりに多くあまりに混乱していて、そ
うさせてくれなかった。
 彼は球体の堅い表面に向かって、外側のガスを抜けて、降下した。多

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くの思考のごちゃまぜの混乱から、あるがままの思考のひとつに周波数
を合わせるためには、存在のひとつに接近する必要があると分かった。
 ガスは降下するにつれ濃くなった。間欠的だが頻繁ひんぱんに起こる衝撃によ
って、奇妙に動かされているようにみえた。実体のない存在にとっては
馴染みのないものだったために、音はせず、なにかを聞いたりもなかっ
た。しかしストレンジャは、爆発の音波を認識したかもしれない。彼が
最初に出会ったのは、ガスが変化したか汚染された、大量の煙だった。
視覚なしで感知する生きものにとって、それは、上空の気体より不透明
でも透明でもなかった。
 彼は固体の中に入った。侵入を拒むものは、もちろんなかった。しか
し彼が認知したのは、固体の表面にほぼ当たる垂直の平面の上にいるこ
と、それらの平面から、彼のあらゆる方向から、混乱した不可解な意識
の発散が来ることだった。
 その発生源のひとつが、すぐ近くにあった。自分の思考をシールドし
ながら、ストレンジャは近づいた。すぐ近くの存在からの意識の発散は、
今クリアになった━━━しかし、クリアでなくなった。
 この混乱が、苦痛が混ざり合い、存在自身以外のすべてが空白になっ
たことを彼は知らなかった。苦痛は、意識と物質がいっしょになった存
在にしか分からないもので、ストレンジャには、まったく感知できない
ものだった。

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 彼はさらに近づいた。また、固体にぶつかった。今度は、表面は違う
タイプだった。外側は、厚くねばねばしたものでおおわれて、濡れていた。
中は、柔軟な層が、柔軟でない層をおおっていた。それを越えて、やわら
かく奇妙なものが、怪しくうず巻いていた。
 彼はさらに、理解できない意識の発散に近づいた。しかし奇妙なこと
に、それらは弱まりつつあった。それらは、1箇所からでなく、やわら
かさのうず巻きの多くの点から来ていた。
 彼はゆっくり近づいた。奇妙な現象を理解しようと努めながら。もの
の中へ突き進むと、もの自体は違っていた。それは細胞とそれらのあい
だを動く流体でできていた。
 
               ◇
 
 そのとき、おそろしいことが突然起こった。奇妙なものの各パーツが
痙攣けいれん的に動き、理解不能の苦痛が意識の発散に突然燃え上がり、まった
くの空白になった。単純に、彼が観察していた存在がどこかへ行ってし
まった。それは動いてはなかった。しかし、完全に消えてしまった。
 ストレンジャは、うろたえた。これは、物質と意識が誤った結びつき
をしたユニークな惑星で出会った、もっとも驚くべきものだった。死は、
それをしばしば見る生きものでももっとも神秘的なものだが、存在に終

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わりがあることを認識できない存在にとって、さらに神秘的なものだっ
た。
 さらに驚くことに、とりとめのない意識の消滅の瞬間、ストレンジャ
は突然の力を感じて、引っ張られた。彼は空間的に少し移動し、ある渦
巻きに吸い込まれた。まるで、空気が突然現われた真空に吸い込まれる
ように。
 彼は動こうとした。最初に空間的に、つぎに時間的に。しかし、動け
なかった。彼は『存在のわな』に掛かった。見たこともない存在を観察
しようとして、中に入り込んだものにとらわれてしまった!彼は思考の
存在だったが、物理的なものにとらわれて抜け出せなくなった。
 彼は恐怖は感じなかった。そのような感情とは無縁だった。代わりに、
ストレンジャは自分の置かれた状況を静かに調べ始めた。彼の認知範囲
を変化させて、広げたりせばめたりしながら、囚人となったものの性質を
調べ始めた。
 それは、だいたいは長円形の筒で、グロテスクな形状だった。1つの
かどから、いわば、長いつなぎの拡張が伸びている。筒の別のはしから、よ
り短いが太い伸びるものがある。
 もっとも奇妙だったのは、短い伸び縮みする円柱のはしにある玉子形の
ものだった。それは、内部も玉子形で、てっぺん近くに、彼の意識の中
心が、固定されていた。

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 彼が囚われの身となったものを、調べ、さぐって行ったが、すごく複
雑な神経やチューブや細胞の目的を理解できなかった。
 そのとき、近くの他の存在の発散を感じて、認識の範囲を広げた。驚
きは大きくなった。
 男たちは戦場をって、前進した。ジョニーディックスのバラバラに
なった体を過ぎて。ストレンジャは彼らを調べ、ぼんやり理解し始めた。
自分がいるこの体は、だいたい彼らと同じで、ただ、不完全なだけだと
いうことが分かった。この体は、彼らの中に住む存在によって、制約は
あるが、動くことができた。今、彼が住んでいるこの体でさえも。
 惑星の堅い表面に囚われていても、これらの体は、水平の平面で移動
できた。彼は認識を、ジョニーディックスの体にすべり込ませ、体に運
動させる秘密をさぐり始めた。
 彼を過ぎてって行ったものたちを調べて、ストレンジャは役に立ち
そうなある概念にたどり着いた。5つの小さな伸びているものは、「腕」
であることが分かった。「足」は別のはしから伸びているもので、「頭」
は彼が囚われている玉子形のものだった。
 これらのものは、動かし方が分かれば、動いた。実験した。しばらく
して、腕の筋肉がぴくぴく動いた。そのあと、速く動かせた。
 今やっと、ジョニーディックスの体はゆっくり、ぞっとするように
い始めた、1本の腕と2本の切断された足で。そのとき、ストレンジャ

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はありえない恐怖を演じていることに気づかなかった。
 動かそうとした体は、本来なら決してそうすることができないもので
あることに、気づかなかった。ふつうの医者ならためらわず、この体は
死んでいると言うだろうことに、気づかなかった。腐敗がすでに始まっ
ていた。しかし、ストレンジャは堅くなった筋肉をあえて動かそうとし
た。
 かつてジョニーディックスだったバラバラになったものは、けいれん
しながら、CN軍の前線に向かってった。


            2
 
 ウォンリーは、砲弾であいた穴の斜面にいつくばっていた。上から
は、彼の鉄のヘルメットとガスマスクのゴーグルの上半分だけがのぞい
ていた。
 前方の大量の煙と火の向こうに、反撃を始めたUS軍の前線が見えた。
彼のいる砲弾の穴は、前線より少しうしろで、今、US軍の砲撃にさら
されていた。8人の仲間とともに、前線を支援するため、500フィー
ト後ろのシェルターを出てきた。8人の仲間たちは、雨のように降り注
ぐ砲弾によって死亡した。ウォンリーは忠誠心はあったけれど、あと1

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00フィート進んで死ぬよりは、ここで待つリーダーに自分は従うだろ
うと思った。
 彼は待った。煙の中をのぞくと、なにかが前方の激戦地で生きていた。
 12ヤード先、煙を通してぼんやりと、なにかがこちらに向かって来
るのが見えた。人間らしくないなにか、はっきりとはせず、砲弾の雨の
中をっていた。ゆっくりっていた。US軍の軍服のずたずたの切れ
はしが、あちこちにくっ付いていた。
 それがガスマスクもヘルメットも付けてないことは、すぐに分かった。
ウォンリーは、腰に巻いた装備からガス手榴弾をつかんで、高くまっす
ぐに投げた。それは、正確にってくるものの足元にうまく落ちた。確
実に死をもたらす、白いガスの一吹きが爆発した。
 陰気に歯を見せて笑いながら、これはこれだと自分に言い聞かせた。
ガスマスクが無ければ、即死だった。ゆっくりと白いガスは、まわりの
煙にまぎれていった。
 そのとき、はっと息をのんだ。そいつはまだこちらに向かっていた。
死の白い一吹きをまさに通り抜けて、っていた。近づいて来て、その
顔まで見ることができた。彼が見たのは、かつて体だったものが切断さ
れたホラーで、ありえない方法で前進していた。
 冷たい恐怖が彼の胃をつかんだ。走ろうとは思わなかった。しかし、
あいつがここへ来る前に止めないと、どうかなってしまう!

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 その恐怖も砲弾の危険も忘れて、ジャンプして跳び出すと自動小銃を
ってくる怪物に向け、10フィートの距離から引き金を引いた。なん
ども、なんども、なんども。弾丸が当たるのが見えた。
 落ちてくる砲弾の悲鳴が聞こえたとき、銃弾クリップはほとんどから
った。穴に戻ろうと跳びこんだ。ほんの少し遅かった。バランスを崩し、
砲弾が落ちたとき、うしろへ倒れた。ってくるもののちょうど背後で
爆発した。鉄の破片が、ヘルメットに当たって跳ね返る音を聞いた。ほ
とんど奇跡的に、彼はそれ以外は無傷だった。
 ヘルメットの衝撃で気を失った。
 気づいたとき、ウォンリーは砲弾の穴の底に倒れていた。最初、戦闘
んだか、移動したと思った。そのとき、クレーターのへりから立ち
昇る煙や、下の地面の絶え間ない振動から、そうではないと分かった。
戦闘は続いていた。鼓膜が傷ついて、ウォンリーは戦闘の音が聞こえな
くなった。
 しかし、聞こえてきた。戦闘の音ではなく、静かな落ち着いた声が、
彼の心の中に響くように聞こえてきた。その声には、なんの感情もなか
った。「おまえはなんだ?」中国語で話しているようにみえた。おどお
どしたところが、まったくなかった。もっとも奇妙だったのは、だれ?
ではなく、なに?といたことだった。
 ウォンリーは座って、それをよく見ようとした。それは、彼のそばに

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あった。数インチのところに。
 人間の頭をしていた。あるいは、かつては頭だった。恐ろしさが増す
なかで分かったことは、こちらに向かってってきたものの頭だという
ことだった。砲弾がそれの背後で爆発して、ここへ吹き飛ばされてきた。
うための体はなかった。
 つまり、今、それは死んだのだ。
 あるいは、そうでない?
 ふたたび、ウォンリーの心の中に、静かな問いかけ。「おまえはなん
だ?」そう聞こえた。そして突然、どうやって知ったのか分からない、
ウォンリーは確信した。そう問いかけたのは、砲弾の穴にいっしょにい
る切断されて不完全な頭だった。
 ウォンリーは悲鳴を上げた。ガスマスクを脱ぎ捨て、足をばたばたさ
せ、ふたたび悲鳴を上げた。砲弾の穴のてっぺんに来ると、走り出した。
 10歩走ったところで、ほとんど彼の足元で、3千ポンドの大型爆弾
が直撃して爆発した。爆発で土砂と岩が空中高く巻き上がり落ちてきた。
新しいクレーターの周りの小さな砲弾の穴のほとんどは、落ちてきた土
砂と岩で完全に埋められた。
 そのうちの1つに、7フィートの土砂の下に埋まって、かつてジョニ
ーディックスの体の一部で、今は未知の存在が閉じ込められている、切
断された頭が横たわっていた。新しい拘束から逃れることもできず、こ

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の空間の時間の流れを変えるどころか、空間的にも時間的にも移動する
ことができなくなった、ストレンジャは、ほんの1時間前までは、純粋
な思考の存在だったにもかかわらず、新しい存在形態の可能性と限界を
静かに、体系的に調べ始めた。






            3
 
 エラスムスは明らかに、彼のモニュメント的な著作、「アメリカの歴
史」において、独裁者ジョンディックス及び合衆国の帝国主義の勃興と、
それにつづくCN−US戦争の成功的帰結に、1巻全部を捧げている。
しかしやはり明らかに、現代歴史家のほとんどと同じに、ディックスに
しばしば与えられる迷信的要素を排斥している。
「それは」と、彼は述べている。「全く茫漠としたところから、いきな
り強力な政府の完全で専制的な支配がこの地球上で生まれたのだから、
盲目的にディックスを崇拝するような迷信が生まれたのも致し方ないこ

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とだった。
 ディックスは二等兵として、手柄を上げることもなく、CN−US戦
争に参加したことは、紛れも無い事実であった。おそらく、その理由か
ら、彼が権力を手にしたあと、自分に関するほとんどの記録の廃棄を命
じた。あるいは、おそらく、廃棄させた記録には、なんらかのしるしが
あったのだろう。
 迷信によると、2082年春、ジョンディックスは裸で土砂に埋もれ
ていた。パナミントの谷から歩いて農場まで来て、そこで食事や衣服を
もらった。そのまま、ロサンジェルスへ行って、革命を指揮したという。
 同じように一笑に付されるものは、彼の不死身の迷信である。何十回
も書かれていることは、暗殺者たちの弾丸が彼の体を通過しても、いか
なる生活の不便ももたらさなかったという。
 彼の敵である真のアメリカ愛国者たちがついに彼を暗殺したことは、
不死身の迷信が誤りだったことを証明した。ローズボウルでの極上のホ
ラーシーンは、多くのその場の目撃者たちが証言しているように、疑い
も無く、彼の敵によって仕組まれた、マジックショーであった」





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            4
 
 ストレンジャは、囚われたものを静かに、体系的に調べ始めた。粘り
強く調べ、ついにキーとなるものを見つけた。
 ジョニーディックスの頭にある記憶にアクセスして、調べた。あるエ
ピソードが突然、彼自身の記憶であるかのように、あざやかによみがえっ
た。
 彼は小さなボートの上にいた。島々を過ぎて、港に入った。隣りには、
とても背の高い男がいた。彼は自分の父だと分かっていて、これは、彼
が7才のときのことで、ニューヨークという場所を旅していた。父は言
った。「あれが、エリス島だよ、ジョニー。あそこで移民を収容する。
外国人さ。やつらはこの国をダメにしている。真のアメリカ人にはもう
チャンスはない。誰かが、ヨーロッパを地図上から葬りほうむ去ってしまうべ
きだ!」
 とてもシンプル、しかしストレンジャには、いろいろな考えを含んで
いるようにみえた。ボートがなにか知っていたし、ヨーロッパがなんで
どこにあるか、アメリカ人がなにか知っていた。そして、アメリカがこ
の地球上で唯一いい国であることも知っていた。他のすべての国は、いや
しい人々でできていた。この国でさえ、唯一いい人間は、ここに長い間
いる白人だった。

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 さらに調べを進めると、彼をまごつかせるようなものがたくさんあっ
た。これらの記憶に関連して、世界地図で彼が今、とらわれている場所を
調べた。それは、奇妙に湾曲した地図だった。地図を学ぶ方法はなかっ
た。それは、ある意味で、狭い愛国主義的観点から描かれていた。それ
より、もっと悪いことがあった。
 彼は習った、そして同化されていった、二等兵ジョニーディックスの
憎しみと偏見のすべてに。それらはたくさんあり、いずれも暴力的だっ
た。この奇妙な世界に反するものは、なにひとつ知らなかった。そのた
め、それらは、記憶がそのまま彼の記憶になったように、彼の憎しみ、
彼の偏見となった。
 それがそうであることを疑わなかったけれど、ストレンジャは、物理
的囚人であるよりも、より狭い思想の囚人となっていった。強くもまっ
すぐでもない心の思想に囚われつつあった。
 心の状態は、徐々に、強い存在の強力な心と、ジョニーディックスの
狭い思想と偏見、その2つが奇妙に混ざり合ったものになっていった。
 彼は世界を、暗いゆがんだレンズを通して見た。なにがなされるべき
かが、分かった。
「ワシントンにいる、このようなまぬけ者どもは」と、彼もしくはジョ
ニーディックスは述べている「追い出さなければならない。オレがこの
国を治めるとしたら」

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 そう、ストレンジャは、この世界を正しくするためには、彼がなにを
すべきかが分かった。ここはいい国だ、一部は。しかし、悪い国に囲ま
れている。悪い国は、皆殺しにしないのなら、レッスンして教え込まな
ければならない。イエローモンキーは、男も女も子どももすべて殺され
る。黒人は、彼らの属するアフリカという場所に、送り返す。そして、
白人のアメリカ人であっても、彼らが持つべき以上のカネを持ってる者
たちがいる。そのような金持ちからカネを取り上げて、ジョニーディッ
クスのような者たちに配る。そう、我々には、指導者がだれなのかを教
える政府が必要だ。十分な軍事力も。世界のすべての国々に、指導者が
だれなのかを教えるために。
 しかしストレンジャが同時に分かっていたことは、彼は土砂に埋まっ
ていて、ものの破片の中にいて、探索している間も腐敗が進んでいて、
重要なものごとを遂行するチャンスがほとんど残されていないというこ
とだった。
 それで貪欲どんよくに、ものの性質を研究し始めた。認知のレベルを、原子や
分子のスケールまで上げた。彼のまわりの土壌は、ジョニーディックス
のからだを再構築するために必要なすべての材料を含んでいた。ジョニ
ーディックスの不完全なからだに最初に入って探索を始めた記憶によっ
て、有機化学的アプローチを始めた。
 からだから失われた各パーツを、ジョニーディックスの記憶から特定

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して、作業を始めた。
 土壌の化学的性質を変えることは、難しくはなかった。また、熱は分
子運動をスピードアップするのに役立った。
 ゆっくりと新しい肉体が、ジョニーディックスの頭の下で育っていた。
髪、目、そして首は、形をなしてきた。時間がかかった。しかし、不死
の存在にとって、時間にどんな意味があるというのだろうか?
 つぎの年、初春のある日の夕方、裸だが5体すべてそろった完全な人
間が、ツメで土をかき分けて外へ出てきた。土はあらかじめ素手でかき
分けられるように、分子運動をソフトにしてあった。
 それは、空気を吸うやり方を練習しながら、しばらく静かに横たわっ
ていた。それから最初は試し試し実験的に、しかしだんだんやり方を覚
え自信を持って、いろんな筋肉や感覚器官を使い出した。









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            5
 
 グレンダール再開発プロジェクトの労働者たちは、男が演説している
のをおもしろがって見た。男は体に合ってない服を着て、運搬用の木わ
くの上でしゃべっていた。
「同士諸君!」と、彼は叫んだ。「どのくらいオレたちはがまんすれば
いい?」
 制服警官がすぐに駆けつけた。「ここで」と、警官は注意した。「演
説はできない!許可があったとしても、今は労働時間だ。ジャマはでき
ない」
「あんたは満足してる、おまわりさん?まわりで起きていることに?そ
して、ワシントンで起きていることに?」
 警官は見上げた。そして、運搬用の木わくの男と目が合った。その瞬
間、彼は電流が走ったように感じた。電流は、心と体をすり抜けた。そ
のとき、彼は、この男は正しい答えを持っていて、いつか自分が従うリ
ーダーになるということが分かった。いつかどこかで。
「オレの名前は、ジョンディックス」と、箱の上の男。「オレのことは
聞いたことがないだろう。しかし、この先ずっと、オレのことを聞くだ
ろう。オレはこれから、あることを始める。見ていてくれ!最初から加
わって有利な地位を占めたいなら、バッジをはずして、捨ててしまえ!

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しかし銃は残しておけ!いつか手にする時が来る」
 警官は、バッジをさわって、ピンをはずした。
 それは、スタートに過ぎなかった。
 
               ◇
 
 2083年6月14日。この日は最後の日だった。朝、ロサンジェル
ス━━━今、北アメリカの首都だった━━━上空には重厚な霧が立ち込
めていた。しかし昼過ぎには太陽が顔を出し、おだやかな日となった。
 ロバートウェルソンは、少人数の愛国者グループのリーダーで、ある
理由からジョンディックスを後押しする集団ヒステリーに加わらなかっ
た、新しいパナメラビルの窓際に座っていた。そこからは、再建された
ローズボウルを見学する大群衆が見渡せた。窓の下の床には高性能のテ
レスコープ付きライフルが置いてあった。
 ローズボウルのステージ上には、北アメリカの独裁者である、ジョン
ディックスがひとりで座っていた。ユニフォーム姿の護衛は、その周り
の全席に、聴衆の間にも、そこらじゅうに散らばって座っていた。
 頭上に吊るされたマイクから、スピーカーを通じて、独裁者の声はも
っとも遠いローズボウルの聴衆にも、その先にも届けられた。ロバート
ウェルソンと同室の仲間は、はっきりと声を聞くことができた。

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「その日は来た。準備は整った。アメリカ人民よ、怒りをもって立ち上
がり、海を越えた悪の国々の力を、今もこの先もずっと、たたつぶすのだ」
 会場全体に喜びが沸き起こり、力強い歓声のうねりとなった。
 その時ロバートウェルソンは、背後のドアに足音を聞いた。室を横切
ってドアをあけると、背の高い男と、大きな頭にうつろな目をしたやせた
少年が室に入ってきた。
「子どもを連れて?」と、ウェルソン。「なんのために?この子は」
 背の高い男はさえぎった。「ディックスは人間でないことは知ってる
だろ、ウェルソン?オレたちの弾丸は、前にもまったく役に立たなかっ
た!なぜだ、ピッツバーグでも、オレは弾がやつに当たったのを見た。
しかし、この千里眼の子どもが━━━あるいはテレパシーかなにかで、
千里眼ではない?知らないし、どうでもいい━━━彼となにか通信ライ
ンでつながった。最初、子どもは彼をずっと見ていて、彼は発作を起こ
した。相手の正体が分からなければ、ディックスとは戦えないだろ?」
 ウェルソンは肩をすくめた。「そうかも。あんたはそうすれば!オレ
鋼のはがねジャケットを着た鉛でなまりゆく」
 深く息を吸うと、窓のところに戻った。窓の前に片ひざをつくと、窓
をあけた。左手でライフルを支えた。
「さぁ、行くぞ!」と、ウェルソン。「たぶん、鉛を撃ち込めば、やつ
は━━━」

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45





            6
 
 ジョンディックスの最も有名な伝記の著者である、マクローインは、
他の多くの本で書かれている迷信については全く受け入れられないとし
ながらも、ディックスが権力を得た背景には、ミステリアスな側面があ
ると、こうめくくっている。
「実に奇妙なことは」と、彼は書いている。「彼が暗殺されたあと、合
衆国をおおっていた狂乱のうずが、すぐにあっという間に、完全に消失して
しまったことである。
 彼のリードに従わなかった、少人数の真の愛国者たちが、もしも彼の
暗殺に成功していなかったら、21世紀最後の世界史は、歴史上、るい
見ない凄惨せいさんな大虐殺史となっていたことだろう。彼が征服した国々を、
皆殺しにしたり、あるいは容赦のない弾圧は、多くの国で行われた。破
壊が広範囲にわたったことは、彼の持つ軍事力からいって、ほとんど疑
う余地がない。彼は世界を征服したかもしれない。けれども、もちろん
最終的には、アメリカそのものが最も打撃を受けた。
 ジョンディックスは気が変だったと言ったところで、彼自身の国の人
々に及ぼした、彼の力のすごさをほとんど説明してない。彼は超人的パ
ワーを持っていたとする、現在の迷信を信用することもできるかもしれ
ない。しかし、彼がスーパーマンだとしても、かなりゆがんだスーパーマ

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ンだった。
 それは、あたかも、あらゆる面で心の狭い、無知で偏見に満ちた思想
を持つ男が、奇跡的に大多数の人々を扇動する能力を与えられて、自身
の狭量な憎しみを聴衆のすべての、ほとんどすべての、心に植えつける
ことができたかのようにみえる。少人数の、免疫を持った、武装テロ集
団が、世界をアルマゲドンから救ってくれた。
 彼の死にぎわの正確な様子は、今日に至ってもなお、ミステリーに包ま
れている。彼が新しい兵器によって殺され、目的達成後にそれが破壊さ
れたのか、ローズボウルの聴衆によって目撃された恐ろしいものは、た
だのイルージョンで、並はずれた手品師によるトリックだったのかどう
かは、いまだ定かでない」










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            エピローグ
 
 ライフルの銃口を窓枠に乗せた。ロバートウェルソンは銃を固定させ、
エレスコープをのぞいた。指先は引き金に掛かった。
 スピーカーを通して、独裁者の声が聞こえた。「運命の日は━━━」
そこで休止して、立ったまま前のテーブルによりかかった。聴衆は静か
に、また大声で歓声を上げようと、彼の言葉の続きを待った。
 ロバートウェルソンの後ろにいた背の高い男が、急いでウェルソンの
肩にさわった。「まだ撃つな!」と、ささやいた。「なにかが起こって
いる、子どもを見ろ、千里眼の!」
 ウェルソンは振り返った。
 彼が見たのは、やせた少年がイスに座ったまま後ろにのけぞっていた。
筋肉が硬直し、目をつぶり、顔がねじれていた。唇くちびるはしゃべる際に曲げ
た。
「ふたりはそこにいる。彼のすぐ近くに。光の2つの点のように、あん
たたちには見えない。しかし、ふたりに似た点が、別にある。ジョンデ
ィックスの頭の中に!
 しゃべっている。ふたりは彼にしゃべっている。彼の光の点のような
ふたつの光の点が。言葉は使ってない。けれど、彼らがなにを言ってる
のか分かる、言葉でなくても。ふたりのうちのひとりがいた。『おま

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えは、なぜそこにいる?おかしな姿だ。まるで、進化前の生命が〜して
いるようだ』その部分は理解できない。それにあてはまる言葉がない。
 ディックスの頭の中にいるものが、点が、答えた。『ここで、わなに
かかった。ものがオレを捕らえた。ものとその中の記憶が、オレを囚人
にした。オレを助けて、自由にしてくれるか?』
 ふたりは、やってみようと答えた。3つの点は、いっしょになって力
を合わせようとしている。彼らは力を合わせ、彼をとらわれの身から自由
にしようとしている。始めた━━━」
 なにか奇妙なことが、起こりつつあった。独裁者は黙ったまま、前の
テーブルに寄りかかっていた。数分が経過した。彼は動かず、言葉の続
きもまだだった。
 ロバートウェルソンは、子どもから目を離して、窓際に戻った。よく
見るためにライフルのテレスコープをのぞいた。しかし今は、引き金に
指を掛けなかった。たぶん、子どもはふざけて、ボール遊びでもして遊
んでる気になってるんだろう。独裁者は今までこれほど黙ったままだっ
たことはなかった。
 後ろで子どもが大声を出した。「自由だ!」まるで、彼の頭の中のど
こかから勝ち誇った声が繰り返し聞こえてきたかのように。そして、子
どものいるところから窓の外は見えなかったけれど、その叫びは、ジョ
ンディックスになにかが起こったのと同時だった。

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 ウェルソンは、はっと息をのんだ。ローズボウルの聴衆が急に、悲鳴
を上げたからだ。突然、独裁者の姿は、聴衆の前から消えた。白い薄い
霧の中に消え、見えなくなって、身に着けていた服が床に落ちた。
 しかしおぞましいものが、消えた肩から落ちて、テーブルの上に乗っ
た。すぐには、なんなのか分からなかった。それは、髪が抜け落ちて、
目も取れ、肉もほとんど残ってない、かつて頭だった腐敗したものだっ
た。
 
 
 
                            (おわり)










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