バーニングマン
原作:レイブラッドベリ
J・D・フェイセルソン
プロローグ
オープンカーが、未舗装の道を、ほこりを上げて、走っていた。
「おばさん、体が燃えそうだ!」と、助手席の少年。運転している、ロ
ーリーに。
「もうすぐ、湖に飛び込めるわ、アンドレ!」と、ローリー。薄ピンク
のドレスに、薄ピンクの帽子を、スカーフでくくっていた。
「この気温の高さは、異常だ!38度くらい?」
「もっと、よ!ここ十数年では、もっとも暑い7月みたい」
1
そのとき、顔が埃だらけの、ダニーが立ち上がった。ダニーは、57
になったばかりだった。服は、茶柄のネクタイに薄茶のスーツだったが、
やはり、埃だらけだった。
「見てよ!」と、アンドレ。
ダニーは、道の真ん中に出てきて、両手をあげていた。ローリーは、
車を止めた。
「止まるとは、驚いたね」と、ダニー。
「それは、こっちのせりふよ!」と、ローリー。「どちらへ?」
「どこでもいい!」そう言って、ダニーは断りもなしに、後部座席に乗
り込んだ。「さぁ、行くんだ!逃げるんだ!」
「何から?」
「太陽に決まっているだろ!」ダニーは、上を指さした。「頭をやられ
るからな!」
ローリーは、ふたたび、車を走らせた。
「もっと、スピードを出せないのか?風を感じたい!」
アンドレが、ダニーの顔をじっと見ていると、ダニーは、ウインクを
した。ダニーは、前の座席に身を乗り出して、話し続けた。
「考えたことは、あるかね?イラつくのが、天候のせいなのか、どうか」
「どういう意味?」と、ローリー。
「きょうみたいに、暑いと、あらぬ妄想を、するもんだ。引き裂かれた
体の中から、悪魔が生まれるとか」
ダニーは、後部座席にもたれた。
「今年は、17年セミが、生まれる年では?今年が?」
「知らない」と、ローリー。
「そうだよ。体で感じる。いいかね」ダニーは、また、前の座席に身を
乗り出した。「世界は、謎に満ちている。17年セミがいるなら、17
年人間が、いてもいい」
「17年人間?」と、アンドレ。
「そうだよ。24年人間とか、57年人間だって、いるぞ。人間が生ま
れる理由は、大人が結婚するからだというが、他の方法で生まれる人間
が、いるかもしれない。たとえば、セミのように」
「セミだって?」
「それに、生まれつきの悪人がいないとは、言い切れん」
アンドレは、ローリーと、顔を見合わせた。そのとき、車の右後部タ
イヤがパンクした。ローリーは、車を止めて、タイヤ交換を始めた。
「どんな悪人ですって?」と、ローリー。レンチでナットを締めていた。
「生まれながらに、悪いやつ。生来の性悪さってものは、受け継がれる
んだよ」
「悪人は、死ぬまで悪いの?」と、アンドレ。
「賢いな、坊や。生まれつき天使のような、人間もいれば、年がら年じ
ゅう、偏屈なやつだっているだろうさ」
「考えもしなかった」
「今日みたいに、すごく暑い日の、照りつける太陽に、土から出たばか
りの、人間は焼かれてしまう。セミの幼虫のように、57年間も、地中
で待っていたんだ。目を覚まして、体を震わせ、あたりを見回して、暑
い土の中から、はい出してくる。しばらくすると、体がパックリと割れ
て、中から、若い肉体が現われて、言うんだ。ギラギラした目で、夏を
味わおう、と」
「なに?」
「夏を楽しむのさ!木を見てみろ!いい、夕飯だ。あっちに広がる草原
は、最高のごちそうだな。朝食には、ヒマワリがいい。屋根のタール紙
は、昼食だ。湖のそばの家には、ワインもあるぞ。ゴクゴク飲みほして、
心行くまで楽しんだら、体が真っ二つになる」
ダニーのひとり舞台に、ローリーもアンドレも、あきれた顔をした。
車は、タイヤ交換を終えて、走りだした。
「なんだか、のどが、かわいた」と、アンドレ。
「のどがかわいた、って?甘いな!」また、前の座席に身を乗り出して
きた。「50年以上も、暑い地中にいた男を、想像してみろ!生きられ
るのは、1日だ。のどのかわきも、激しいが、腹も、ぺこぺこだ。木や
花どころか、丸ごとケーキや、ぶ厚いステーキだって、食える。腹がい
っぱいになって、満足したら、ぶらつくかな。人間の肉の味は、どうだ
ろうな?」
「なんて?」と、アンドレ。
「人間だよ。煮たり、揚げたり、ゆでたり、男や女、子どもだって、な
んでも来い!歯を研いで、肉をしゃぶれ、ディナーが始まるぞ!」
「やめて!」ローリーは、腹を立てて、急ブレーキをかけた。後部座席
を向いて、言った。「降りて!」
「なぜ?」と、ダニー。
「早く!」
「ここで?」
「もう、ウンザリよ!」
「ここは、ちょっと」
「聖書もあるし、ハンドルの下には、フル装填の拳銃。座席の下には、
十字架。グローブボックスには、かなづちも。ラジエータには、3つの
教会の聖水を入れてある。熱い蒸気を浴びたくなきゃ、降りて!早く、
降りて!」
ダニーは、突き落とされるように、車から降ろされて、道に尻もちを
ついた。
「頭のネジが、はずれたんじゃないのか?」と、ダニー。猛スピードで
遠ざかる車に。
ローリーは、ダニーを、降ろして、ホッとした顔をした。
「頭にも来るわよ、あんな人!」
アンドレが、後ろをふり返って見ると、ダニーが悪態をついていた。
「太陽にやられちゃう!」と、ダニー。「チクショウ!」ダニーは、上
着をぬいで、地面にたたきつけていた。
2
「おばさん、別人みたいだったね!」と、アンドレ。
「わたしも、驚いた」と、ローリー。
「さっきの話、ほんとう?」
「まさか」
「全部、嘘だったの?」
「ほら吹きは、あの人よ!」
「そうかな?」
「嘘も方便なの。ああいう人には、特にね」
「そうか━━━もう一度。言ってみて!」
「嘘も方便よ」
「違うよ、聖書や拳銃の話だよ!」
「聖書もあるし、ハンドルの下には、フル装填の拳銃。座席の下には、
十字架。グローブボックスには、かなづちも━━━」
ローリーもアンドレも、大声で笑った。
◇
湖。木製の台から、飛び込むアンドレ。水中から、現われるローリー。
ローリーとアンドレは、水着で水をかけあって、おはしゃぎだった。
木陰で休む、ローリーとアンドレ。すでに、服を着替えていた。
「セミの声だ」と、アンドレ。「まさか、あの人の話、ほんとうじゃ、
ないよね?違う道で、帰れないの?」
「無理ね」
「何も、起きないといいけど」
「心配ないわ。行くわよ」
アンドレは、ランチバスケットを車に乗せた。
夕日の中を、昼と同じ道を、帰っていった。
「ほんとうだったらな」と、アンドレ。
「何の話?」と、ローリー。
「座席の下に、十字架さ」
道端で、真っ白な服を着た、少年が手を振っていた。
ローリーは、車を止めた。
「町へ行く?」と、白い服の少年。
「そうよ、あなたは、何してるの?」と、ローリー。
「ぼくは、トミー。ピクニックで、家族に置き去りにされた」
トミーの服は、新品のように白く、ネクタイは茶柄だった。
「それは、かわいそうに」
「ひとりで、不安だった。ここ、こわいんだもん」
「乗りなさい!」
トミーは、後部座席に座った。
エピローグ
夜。車は、ライトをつけて、走っていた。
トミーは、おとなしく、座っていた。
ローリーは、バックミラーで、トミーの姿を確認できた。
トミーは、ローリーに、なにかを耳打ちした。
「なんて?」と、ローリー。
「なんなの?」と、アンドレ。
車は、スピードが落ちて、止まった。スターターをまわしても、エン
ジンは、かからなかった。
ローリーとアンドレは、後ろをふり返った。
「この世には、生まれつきの悪人がいると思う?」と、トミー。
トミーは、笑い顔になった。
ローリーとアンドレは、トミーを見ていた。
車は、停車したまま、ライトが消えた。
道は、他に誰も通らなかった。暗くなって、虫の声が響いていた。
(第一_八_二話 終わり)