3つの願い
ビンスギリガン
プロローグ
クレープクール、ミズーリ州。
倉庫会社の敷地を、社長がカートに乗って走っていた。
「アンソン!アンソン!どこにいるんだ?アンソン!応答しろ!」
携帯用無線に、呼びかけた。
アンソンは、倉庫の一室で、ヨットのカタログを見ていた。
社長は、その前で、カートを停めた。
「アンソン!早くでてこい!」
アンソンは、しぶしぶ、立ち上がり、カートのところまで出てきた。
「いったい、なんど言わせる気だ!407号の、そうじは?」と、社長。
「もちろん、やってるわけないよな?午前中いっぱい、なに、やってた?
今の調子で、そのカタログにのってるようなヨットが、買えると思って
るのか?それでも、一人前のつもりか?仕事ひとつ、まともにできんく
せに!」
「こんな仕事、アホでもできるぜ!」と、アンソン。
「なら、それが、できん、お前は、いったい、なんなんだ?」
「黙れ!」
「なんだと?━━━まぁ、いい。とにかく、さっさと407号のガラク
タを片付けろ!今、すぐにだ!1時間後に、また、来る!それまでに、
やっとけ!」
社長は、カートをUターンして、事務所に戻っていった。
◇
407号倉庫の鍵をカッターで壊して、アンソンは、シャッターをあ
けた。古い家具や、額縁が、いくつも置かれ、ビニールでおおわれてい
た。アンソンは、中へ入って、服についた、くもの巣をはらいのけた。
床にある巻かれたジュータンを、どかそうとすると、なにかが動いた。
アンソンが、カッターを構えながら、ジュータンを広げると、中から、
黒い服を着た、女性が現われた。つっつくと、女性は、目をあけた。
◇
社長は、ふたたび、カートから呼びかけた。
「アンソン!アンソン!」
407号倉庫の前に、携帯用無線が捨てられていて、シャッターはあ
いたままだった。
アンソンの姿は、なかった。社長は、立ち上がり、倉庫の前で叫んだ。
「もうがまんならん!きょうかぎりで、お前を━━━」
社長は、口ごもり、手で押さえながら、こちらを向いた。
手をどかすと、口は、なくなっていた。
「ギャーッ!」
1
FBI本部。午前9時22分。
モルダーは、地下の自分のオフィスで、男性の書類に、ひととおり目
を通した。
「なにか、飲み物は?コーヒー?水?」と、モルダー。
男性は、口ごもった。
「おはよう!」と、スカリー。ドアをあけて、入ってきた。
「おはよう!」と、モルダー。
スカリーは、男性に見えないように、この人だれ?というジェスチャ
ーをした。
「スカリー特別捜査官です」と、モルダーは、男性に、紹介した。そし
て、スカリーに。「こちらは、ジェイギルモア」
男性が、振り向いた。
「ギャーッ!」と、スカリー。男性の口は、手術で切りひらかれた後、
ぬわれていた。
「どうぞ、よろしく」気を取り直して、スカリーは、手をさしだした。
「こちらこそ、よろしく」と、ギルモア。
モルダーは、スカリーに説明した。「ギルモアさんは、わざわざ、ミ
ズーリ州からいらしてくれたんだ。ぼくらを頼って」
「今の私の状況を」と、ギルモア。「理解できるのは、あなた方しかい
な━━━いない」
「無理しないで!」と、モルダー。スカリーに書類をみせた。「これが、
ギルモアさんの状況だ」
スカリーは、口がなくなった写真を見た。
「1ヶ月ほど前に、突然、そうなった」と、モルダー。
「アンソンストークス」と、ギルモア。「あいつの仕業だ。どうやった
かは、分からん。彼に、間違いない!」
「アンソンストークスは、貸し倉庫会社の、元従業員だよ」と、モルダ
ー。「ギルモアさんが経営している━━━日頃から、問題が多かったら
しい」
「私に向かって、黙れ、と。それで━━━」
「ああ、それで、ギルモアさんは、その直後に、災難に見舞われた。そ
の後、警察が、アンソンストークスに同行を求めたところ、彼は、それ
を、拒否したそうなんだ」
「あの男ときたら、証拠はあるのか、などと」
「まぁ、たしかに、証拠はないですよね?」と、モルダー。
「新しい口を作るために、いったい、いくらかかったと思います?ああ、
正義は、どこへ行ったんです?」
ギルモアは、まだ痛む、口をおさえて、目をつむった。
スカリーは、それを見て、困ったように、小さくうなづいた。
◇
マークトウェイン ハウストレーラー場、ミズーリ州。
車が停まり、運転席からモルダーが、助手席からスカリーが、降りて
きた。モルダーとスカリーは、歩きながら、議論を始めた。
「モルダー、わたしは、ただ」と、スカリー。
「分かってる」と、モルダー。「犯罪とは、限らないし、ストークスは、
無関係かもしれない」
「もしかしたら、彼は、いわゆる、小口症なのかもしれないわ。つまり、
あれは、強皮症の一種よ。コラーゲンが過剰に生産されて、それで、口
が、極端に小さくなっちゃうの」
「ああ、でも、それは、徐々にだろ?ギルモアの場合は、一瞬にだ。担
当医は、とまどってる。学会で、発表すると言ってたよ」
「あるいは、鼻のない、鼻穴形成不全症の可能性もあるわよ」
「鼻だろ?今度の場合は、口なんだよ」
「いずれにせよ、これは、医学的な問題で、犯罪とは、ぜんぜん、無関
係だわ」
「でも、そうなら、なぜ、ストークスは、警察の求めを、拒んだんだい
?」
「モルダー!」スカリーは、驚いて、立ち止まった。
家のキャットウォークに、大型のクルーザー船が置かれていた。
「ちょっと、場違いだと、思わない?」と、スカリー。
「かなりね」と、モルダー。
◇
カーテン越しに、モルダーとスカリーが近づいてくるのが見えた。
「まずい!」と、アンソン。「レスリー!」
弟のレスリーが、室の中を、電動の車イスに乗ってきた。「なに?ど
うしたの?」
「国税庁の連中だ!」と、アンソン。「間違いない!おまえが、おっぱ
らえ!」
スカリーは、ドアをノックした。
レスリーは、ドアをあけて、しばらくしてから、車イスをバックさせ
て、現われた。
「どうも」と、スカリー。「こちら、アンソンストークスさんの、お宅
かしら?」
「今、留守だ」と、レスリー。
「いつごろ戻るか、ご存知?」
レスリーは、首を振った。
「わたしたち、FBIの、モルダーとスカリーと、いうんだけど」スカ
リーは、身分証を見せた。
「その船は」と、レスリー。「うちのじゃない。頼まれて、預かってい
るだけだ。ほんとさ。それに、税金は、持ち主が払っている」
「ああ、そう」スカリーは、身分証をしまった。
「ほんじゃ、さよなら」レスリーは、ドアをしめようとした。
「おい、おい、おい、おい」と、モルダー。ドアを、ふたたび、あけた。
「きみ、名前は?」
「レスリーストークス」
「アンソンの弟か?」
レスリーは、うなづいた。
モルダーは、室内を、なに気なく見た。黒皮のコートを着た女性が、
サングラスをして、お菓子の筒を手で回しながら、立っていた。
「どうも」と、モルダー。女性は、こちらを見たが、なにも、言わなか
った。
スカリーも、ドアから、首を出して、女性を見た。
「きょうは、船のことで、来たんじゃないんだ。お兄さんの、元雇い主、
ギルモアさんのことで、話を」
「最近」と、スカリー。「ギルモアさんの身にふりかかった災難につい
て、お兄さんから、なにか、聞いてない?」
「口のこと?」と、レスリー。「ああ、あの件は、だから、例の、化学
物質!」
「化学物質?」
「ほら、人って、変な薬とか、しまうだろ?兄貴も前に、貸し倉庫の扉
をあけたら、気持ち悪い、おかしな、においがしたって言ってたよ。そ
ういうのが、原因だろ?その線で、調べてみな!そんじゃ、オレ、用が
あるから!」
レスリーは、玄関のドアを、完全にしめた。
「う〜ん」と、スカリー。
「事態が、だんだん、見えてきたぞ」と、モルダー。
スカリーが見ると、モルダーは、笑いながら、首をふった。
◇
407号倉庫のシャッターを、モルダーとスカリーはあけた。
「ギルモアは、ちょうど、この場所の近くで、あんな目にあったのね?」
と、スカリー。
「別に、化学物質のにおいなんか、しないけど」と、モルダー。「それ
に、口も、無事だよ」
「ほこりだらけだわ」
モルダーは、カレンダーを見つけた。「へぇ、78年だよ。ずいぶん
長いこと、預けっぱなしにしてるんだな」
「もったいないわ。ほこりは、かぶってるけど、どの家具も、いいもの
ばかりよ」
「ガレージセールでも、ひらくかい?」
「モルダー、これなんか、たいへんよ!すごい、値打ちだわ」
「だから?」
「だから、つまり、ここは、宝の山だってことよ。なにか、盗まれてい
るかもよ」
「たとえば?」
「だから、宝石とか、だって、アンソンストークスは、ここをあけて、
姿を消したのよ」
「今さっき、場違いな船もあったしな」
「これは?犯罪ね。窃盗よ」
「でも、ギルモアの口は、どうなんだ?━━━スカリー、これ、見ろよ」
モルダーは、額に入った写真を見せた。水着美女にはさまれて、太っ
た男性が立っていた。後ろのオープンカーの助手席に、こちらを見てい
る、サングラスをした女性がいた。
「ああ」と、スカリー。
「この女に、見覚えは?」と、モルダー。
「アンソンのうちにいたわ」
「70年代かな。ディスコ全盛のころだ」
◇
住宅街のクルーザー船を、こどもたちが、おもしろがって、見ていた。
アンソンは、それを、窓から、ちらっと、見た。「2つも━━━2つ
もの願いを、ムダにしちまった!」と、アンソン。
「なぁ、船は?」と、レスリー。
「それが、なんなんだ?ただ、でかいだけで、まるで━━━」
「まるで、白いゾウ?」と、女性。
「それ、どういう意味だ?」
「高価なだけで、なんの役にもたたない、迷惑なもののことよ」
「そんなものを、なんで、オレにくれた?」
「あんたが、願ったからよ!」と、女性。
「はは、そうかよ。ご親切な、こったよ。けど、なんで、どっか、水の
あるところとか選んで、浮かべない?」
「水のことは、聞いてない」と、女性。
「そんなこと、いちいち言わなくても、船とくりゃ、水だ。常識だろ!
なにが、白いゾウだ!どうやって、税金払えってんだよ!」
「なら、最後の願いを使って」と、レスリー。「消してもらえば?」
「おまえ、この家から、おん出されたいのか?たった、今、言ったばか
りだろ?もう2度も、チャンスをムダにしてんだ。いいか、この最後の
チャンスは、絶対、ものにするからな。いいな!たのむぜ」
アンソンは、テレビを消して、歩きながら、考えた。
「さぁ、神経を集中して、考えろ!これが、最後の願いごとだからな。
もし、オレがこうしてほしいとか、言っても、オレがこれだって言うま
では、かなえるな!いいな?」
女性は、うなづいた。「あの人に、口を返してあげたら?」
「あれは、オレが、口を閉じやがれって言ったのを、あんたが、早とち
りしたんだ。良心がとがめるからって、人の願いを使うなよ!」
「あ〜あ、分かってないな」と、女性。
「レスリー、なにか、いい考えは?」
「ああ、カネ」と、レスリー。「カネは、どう?」
「なかなか、いいぞ。けど、どうせなら、カネそのものより、カネを生
み出すなにか、そういうものの方が、よくないか?どう、思う?」
「知性?」と、女性。「才能?勤勉さ?」
ふたりとも、ピンとこなかった。
「ああ、カネ製造機だ!」と、レスリー。
「いいぞ、けどな、カネより、もっといいものがあるはずだ。なんだろ
うな。たとえば」
「それじゃ、願いごとの回数を、無限に」と、レスリー。
「それだよ!へへ!」
「願いは、3回よ。それだけ」と、女性。
「どうすりゃいいんだ!」
「だったら、こういうのは、どう?月並みでは、あるけど」
「なになになに?」
女性は、両手を広げて、レスリーにかざした。
「なになに?」と、レスリー。
「なんだよ!言えよ!」と、アンソン。
「もう、いいわ、忘れて!」女性は、言いたいことが、伝わらないので、
あきらめた。
「これだ!」と、アンソン。「これだよ!これっきゃない!いいか、聞
いて腰ぬかすなよ!オレの、最後の願いは、いつでも、好きなときに、
透明人間に、なれること」
「冗談でしょ?」と、女性。
「いや、これこそ、完璧だよ!だって、そうだろ?透明人間になれば、
なんだってできる!たとえば、政府の秘密も、盗み出せるし、そう、株
式の情報だって、自由に手に入れられる」
「ふ〜ん」と、女性。
「それより、オレの言ってるのは、国際スパイだよ」
「なぜ、そんな、バカみたいなことしか、考えられないの?」と、女性。
「ほめてくれなくても、かなえてくれりゃいいんだ。お分かり?」
女性は、アンソンをすこし見て、言った。「完了!」
アンソンは、そわそわして、聞いた。
「この服も、透明になるんだろ?」
「そうは、言わなかったわ」と、女性。
「なんだって?」アンソンは、しかたなく、服をぬぎはじめた。「まぁ、
いいや」
アンソンとレスリーは、ニヤニヤしていた。
「さっさと、消えてよ!」女性は、見てられないというように、言った。
アンソンは、完全に、透明になった。
「いいぞ!こいつは、すごいや!レスリー、ここだよ!ここ、ここ、見
えるか?」
アンソンは、ドアをあけて、外へとびだした。ゴミ箱が、2つ倒れた。
「アンソン、だいじょうぶ?」と、レスリー。車イスで、出てきた。
「ああ、自分の足も、見えなかった!あはは、どうだ、見えないだろ!」
「ぜんぜん!わははは!」レスリーは、立ち上がった女性に、手を振っ
た。
車イスでバックして、室に戻ると、女性は消えていた。
「あれ?」と、レスリー。
アンソンは、庭を抜けて、通りに出て、歩行者用信号が変わるのを待
った。
通りの向こうで、若い女性がふたり、自転車のチェーンを直していた。
「ははは、お嬢さん方、お困りのようですね」と、アンソン。ひとりで、
はしゃいでいた。「今から、ゆくぞ。はやく、変われ!」
信号が変わったので、アンソンは、走って渡ろうとした。
そのとき、大型トラックが、速度をゆるめずに、そのまま、走ってき
た。
「ギャーッ!」
2
同じ通り。午後4時36分。
土の歩道を走ってきた、少年の乗った自転車が、なにかに、つまづい
て、転倒した。
「うわぁ!」と、少年。
つまづいた場所が、人の形にくぼんでいた。
◇
FBIの医療室。
スカリーが、白衣を着て、待っていると、ふたりの看護師が、キャス
ター付きの、検死台を運んできた。
「あとは、よろしく」と、看護師のひとり。
スカリーがうなづくと、出て行った。
検死台の上には、誰も横たわってなかった。スカリーが、頭とおぼし
きあたりに、白いゴム手袋をした指を近づけると、何かに触れた。
スカリーは、指紋検出用の黄色いパウダーと刷毛を、引き出しから出
してきた。
パウダーを、頭とおぼしきあたりに、落とすと、空中にとどまった。
「ハハ、ヘヘ」と、スカリー。刷毛で、鼻や、口が、黄色いパウダーで、
見えるようになると、楽しくなって、作業を続けた。
見えない死体の全身が、黄色いパウダーで、見えるようになったころ
には、モルダーも来ていた。
「塗り残しがあるぞ!」と、モルダー。「尻が丸見えだよ!これが、ア
ンソンストークスか?」
「そうよ」と、スカリー。塗り残しに、黄色いパウダーを塗りながら。
「歯型で確認したわ。自宅から、1マイルぐらいのところで、見つかっ
たの。たぶん、車にはねられたか、なにかね」
「そして、目に、見えない!」
「ええ、その通りよ!」と、スカリー。「この7年間で、信じられない
ようなことに、さんざん出くわしたけど、でも、これは━━━これは、
特別よ!まさに、科学の常識を、くつがえす、できごとだわ!」
「たしかに、驚きだ。でも、この件と、科学は、関係ないだろう。この
前の、ミスターディスコだけど」
モルダーは、倉庫で見つけた、写真の拡大コピーを見せた。
「それが?」
「彼について、調べてみた。名前は、ヘンリーフランケン。一夜にして、
大金持ちとは、彼のことだよ。77年には3万6千ドルしかなかった資
産が、翌78年には、3千万ドルになってる。プラス、この男の死に方
というのが、なんとも興味深いんだよな、これが」
「というと?」
「慢性的表皮反転症」
「反転症って、まさか?」
「あたり!」と、モルダー。「78年4月4日、彼は、ゲートウェイ記
念病院に運びこまれた。表皮反転症のため、彼の姿は、ホラーそのもの、
恐怖だったそうだ」
「でも、それが、今度のことと、どう関係があるの?」
「ふたつを結びつけるのは、この女だ」モルダーは、オープンカーの助
手席の女の、拡大コピーを見せた。「彼女に関する記録は、いっさい、
見つからなかったんだが、すべては、この謎の女のしわざだよ」
「そう、で、方法は?」と、スカリー。
「うう、分からない。でも、とにかく、彼女と話そう」
モルダーは、室を出ようとした。
「ええ、わたしは、ここに、残るわ」と、スカリー。「このままの状態
で、遺体を放置するのは、まずいと思うの。だって、貴重な証拠だもの」
「わかった」と、モルダー。ドアをあけて、出ていった。
スカリーは、ひとりになると、うれしそうな笑顔を浮かべた。
◇
住宅街のクルーザー船、夜。
「心から、お悔やみを」と、モルダー。レスリーストークスの家で、報
告した。
「アンソンは、苦しんだのかい?」と、レスリー。
「いや、たぶん、即死だよ」
レスリーは、下をむいた。
「それより」と、モルダー。「アンソンは、透明だったと言ってるのに、
きみは、すこしも、驚かないね?」
「ああ」
「昼間、ここにいた女性は、どこへ、行った?」
「彼女なら、消えたよ」
「これは、ぼくの推理だが」と、モルダー。「彼女は、ジナイアだと思
う。ジナイアは、知っているかい?」
「いや」
「ジニーの女性版だよ。中東の神話に登場する、魔神だよ」
レスリーは、なんの話か分からなかった。モルダーは、かわいい魔女
ジニーのテーマ曲を歌うと、レスリーも、いっしょに歌いだした。モル
ダーは、レスリーの前に、しゃがんだ。
「でも、かわいい魔女ジニーのバーバライーデンは、この際、関係ない。
アラビアの神話によると、ジニーやジナイヤは、炎でできているが、現
われるときは、人間の形をしている。彼らは、人間の願い事をかなえる
霊で、普段は、ランプや指輪の中に、閉じ込められてる。聞いたこと、
あるだろ?」
レスリーは、首を振った。
「兄さんは、貸し倉庫の中で、なにか、その類のものを、見つけたんじ
ゃないのかな?そして、ジナイヤを呼びだして、とんでもない、願い事
をした。ギルモアを黙らせろとか、船のオーナーにしてくれとか」
「ま、待ちなよ」と、レスリー。「あんた、本気で言ってるのかい?」
「もちろんさ。きみの兄さんが見つけたものを、今、すぐに、このぼく
に、渡すんだ。さもないと、きみの兄さんの、二の舞になるぞ」
レスリーは、あきらめて、車イスで、チェストに移動して、古い小箱
を渡した。
「ああ、これでいい」と、モルダー。小箱を、大事そうに、両手でつか
んだ。
◇
407号倉庫のシャッターを、レスリーはあけた。
まわりを確認してから、懐中電灯で、巻かれたジュータンを照らした。
◇
スカリーは、黄色いパウダーで全身がおおわれた、アンソンを、死体
安置室に入れて、写真を何枚も撮った。そこへ、モルダーが、帰ってき
た。
「スカリー、ちょっと来てくれ」と、モルダー。
スカリーは、カメラをかまえたまま、困った顔をした。
「死体は、逃げやしないよ!さぁ!」
スカリーは、しかたなく、死体安置室の扉の鍵をしめた。
「バイ!」と、スカリー。アンソンに。
病院の別の一室。モルダーのあとに、スカリーがついてきた。
「ハーバード大の研究者たちが、こっちに向かってるの」と、スカリー。
「おどろく顔が、見たいわ。フフ」
モルダーの座った、机の上に、小箱があった。
「これ、なぁに?」と、スカリー。小箱を、持ち上げた。
「まんまと、だまされたよ」と、モルダー。「フタをあけたときの臭い
からして、ストークス兄弟は、どうやら、これに、葉巻を入れていたら
しい━━━でも、見せたいのは、こっちなんだ」
モルダーは、机の上のモニターに、古い白黒映像を出した。
「見覚えは?」と、モルダー。
「ムッソリーニでしょ?」と、スカリー。
「それじゃ、彼女は?」
演説するムッソリーニの横に、サングラスの女性がいた。
「例の、なぞの女性に、よく似ている気がするけど」
「調べたが、同一人物だ。まず、FBIの犯罪者のデータを検索してみ
たんだが、そこに該当する人物は、ひとりもいなかったが、そこで、勘
を働かせて、国立公文書の保存映像を見たら、この通り!」
「もし、同一人物だとしても、なぜ、ムッソリーニのとなりにいるの?」
「それを言うなら、ニクソンのとなりにもいるよ!」
モルダーは、別の、カラー映像を出した。拍手する、ニクソン夫妻の
あいだに、サングラスの女性。
「なぜかな、分かっているのは、ふたりとも、巨大な権力を手にいれ、
そして、失ったということだ」
スカリーは、とても信じられない、という顔をした。
◇
レスリーは、407号倉庫から持ち帰ったジュータンを、居間に広げ
た。
「ほらね!この室に、ぴったりだろ?」と、レスリー。「高級品だな。
でも、これに、くるまって━━━」
「いいから、さっさと済ませましょ!」と、女性。「早く、願い事をし
て!」
「待てよ。今、考えてるんだから」レスリーは、アンソンの写真立てを
手にした。「兄貴みたいな、失敗はしたくない。気の毒に━━━」
「そういうことなら、もう一度、提案してもいい?」
「うん?」
女性は、両手を広げて、レスリーにかざした。
「なに?」と、レスリー。
「それよ!あなたの障害!たぶん、悲惨な事故にあったか、なにかで、
そうなったんでしょ?」
「ああ、悲惨な事故だったよ。オレ、兄貴と、ポスト壊しをやっててさ。
へっへへ、なつかしいな。オレ、車の窓から、身を乗り出して、バット
でポストを━━━あ、これか!」レスリーは、車イスを指さした。「な
るほどね。純金製の車イスっていう手が、あったか!悪くないな」
女性は、ため息をついた。
「たしかに、いいけど、でも、もっと、欲しいものがある」
レスリーは、真顔になって、アンソンの写真立てを見た。
3
FBIの医療室。
スカリーが、白衣を着て、ハーバード大の研究者、3人を案内した。
「きっと、目を疑うわ」と、スカリー。「用意は、いい?いくわよ!」
スカリーは、アンソンを入れておいた、死体安置室の鍵をあけた。
安置台の上には、誰もいなかった。
「ああ、この人、透明なの」スカリーは、3人に説明した。「だから、
あ、はは━━━」
スカリーは、安置台の上に、手をのばした。なににも、触れなかった。
「変ね━━━」
スカリーは、奥まで、手をのばしても、なににも、触れなかった。
◇
ストークス家、朝。
レスリーは、食事しながら、目の前の、アンソンを見ていた。
ハエが飛び回っていて、アンソンの目の上にとまって、また、飛び回
った。
「もう、がまんできない」と、レスリー。食事をやめて、キッチンに立
っている、女性を見た。「こんな気味悪い兄貴、兄貴じゃないよ!」
「トラックにひかれたのよ」と、女性。
「だから?」
「しかたないでしょう?」
「オレは、もとに戻してくれって、言ったんだぞ」と、レスリー。
「戻してくれと、言っただけよ」と、女性。
「でも、これじゃあ」レスリーは、臭いがして、かいだ。「おい!腐っ
てきてるじゃないか!こんなの、頼んでないぞ!話くらい、させろよ!
━━━決めたぞ!つぎの願い事は、これだぞ。兄貴を、しゃべれるよう
に、してくれ!」
「ウソでしょ?」
「本気だよ!決めたんだ!兄貴を、しゃべれるように、してくれ!さぁ
!」
女性は、気が進まない顔をして、アンソンを見た。「完了!」
「アアアーーーー」と、アンソン。
レスリーと女性は、耳を押さえた。
◇
FBIの医療室。
モルダーは、アンソンが置いてあった、死体安置室を調べた。
スカリーは、手で顔をおおっていた。
「ああ、もう、死んじゃいたい!」と、スカリー。「ああ、あんなに興
奮して、はしゃいじゃって、バカみたい!どうか、してたわ!なにが、
透明人間よ!」
「あれは、たしかに、本物だよ」と、モルダー。
「わたし、夢でも、見てたのかも。ああ、冷静になって、考えてみれば、
あんなうまい話、あるはずないのよね」
「死体が消えたのには、わけがある」
「わけがあるって、どんな?」
「これは、願いがかなった、結果だよ」
「願いが?誰の?」
「アンソンを、愛してるのは、誰だ?心から、愛してるのは?」
「弟のレスリー?」
◇
ストークス家。
アンソンは、叫ぶのをやめた。
レスリーは、女性を、責めるように見た。「こんなのありかよ?」
「オレになにを、した?」と、アンソン。
「へ?」と、レスリー。「生き返らせてもらっといて、その言い草はな
いだろ?」
「おい、おまえ、なにをした?」
「兄貴のために、願い事を、2つもムダにしたよ!」
「なにも、感じない」と、アンソン。「脈も、鼓動も。なぜ、黄色に?
━━━寒い、寒い」アンソンは、台所のガスレンジをひねって、マッチ
で火をつけようとした。
「知るか!」レスリーは、車イスを、バックさせ、玄関に出た。「2つ
も、ムダにしたよ!」
レスリーは、室の暖房の温度を上げた。
「ほら、兄貴、ヒーターつけてやったぞ!これで、満足か?ほかに、な
にを、やってほしい?黄色の尻を、ふいて、ほしいか?」そして、女性
に。「この、役立たずめ!」
「早く、3つ目を言って!」と、女性。「死体にウジがわく前に、ここ
を出たいの」
「ああ、今度こそ、自分のために、願い事するぞ。いいな」そして、ア
ンソンに。「オレは、自分のために、使うからな。せっかく、兄貴のた
めにと、思ったのに、文句ばっかり、言いやがって!━━━よし!最後
だ。ああ、なににしようかな」
アンソンは、なんど、すっても、マッチに火がつかなかった。
「カネがいいかな」と、レスリー。「透明人間だけは、やめておこう!
死んじゃ、おしまいだからな!なぁ、アンソン、透明人間だと?まった
く、なんて、バカなんだ?」
アンソンは、なんど、すっても、マッチに火がつかなかった。
モルダーとスカリーは、車をゆっくりとめて、降りてきた。
「透視力?やめよう。やっぱ、純金の車イス?」と、レスリー。
女性は、ガスの臭いに気づいて、台所の方を見た。
「決めた!足だ!」と、レスリー。
アンソンは、やっと、マッチに火をつけた。
◇
大爆発が起こって、ストークス家は、吹きとんだ。
近くまで来ていた、モルダーとスカリーは、道路に吹きとばされ、車
の窓は、すべて、木っ端微塵になった。
モルダーとスカリーは、道路からやっと、顔を上げた。
「ギャーッ!」と、スカリー。近くに、死体が落ちてきた。
◇
ストークス家の向かいの家の2階。
窓から、消防車やパトカーがとまって、人々が集まっているのが、見
えた。
「サングラスを」と、モルダー。女性に。「はずして、もらえないかな
?」
女性は、サングラスをとった。パトカーのサイレンが、聞こえた。
「いやぁ」と、モルダー。女性の顔を、ゆっくり見た。「名前は?」
「ずっと前に、なくしたわ」と、女性。
「ジェンと呼んでいいかな?ジナイアの愛称だよ」
ドアをあけて、スカリーが入ってきた。
「ああ、遺体が、2つ発見されたわ」と、スカリー。
「ストークス兄弟のかい?」と、モルダー。
「そのようね。今度は、アンソンも、目で確認できるわ。当然だけど」
モルダーは、うなづいた。
「でも、どうしても、ひとつ、分からないのは」と、スカリー。「アン
ソンの遺体が、どうやって、鍵のかかった死体安置室から、はるばる、
マークトウェイン ハウストレーラー場まで、移動したのかってこと」
「彼に聞けば!」と、女性。「彼は、ぜんぶ、知ってるわ!」
「彼の考えなら、分かってる」と、スカリー。「あなたは、人の願い事
をかなえる、ジーニーかなにかだって、いうんでしょ?」
「ええ、そのとおり!」
「ぼくが分からないのは」と、モルダー。「きみが、いいジーニーか、
悪いジーニーかっていうことさ。きみと関わったものは、みんな、不幸
な死に方をしている」
「じゃ、わたしは、悪党?そういうわけ?」
「そうはいわないが、人を不幸にする。それは、たしかだろ?」
「それは、あなた方、人間が、おろかだからよ」と、女性。「だれも、
かれも、今まで、わたしが関わった人間は、ひとりのこらず、例外なく、
バカだったわ。バカなものを欲しがって」
「じゃ、悪いのは、願い事だと?」
「ええ、そうよ!カネをくれとか。胸を大きくとか。ジェームスディー
ンみたいに、クールになりたいとか。ちょっと、古かったかもしれない
けど」
「ああ、そうだな。かなり、古いよ」
「だから、なによ。人間は、この500年間、変わってないわ!」
「500年間?」と、スカリー。
「多少、清潔には、なったかも?」と、女性。「汗くさくないし。でも、
相変わらず、欲深いし、あさはかなとこも。破滅の道を、歩んでるわ」
「ということは、つまり、あなたは」と、スカリー。「そう、この50
0年間、ずっと、人間の歴史を、目撃し続けてきたってわけ?」
「わたしも、昔は、人間だったわ」と、女性。「15世紀のフランスに
生まれたの。ある日、ムーア人の行商人が、敷物を売りにきて、その1
枚を広げたら、なかに、イフリートがいたのよ」
「イフリート?」と、スカリー。
「すごく、パワフルなジーニーよ」と、女性。「それで、わたし、願い
事をしたの。1つめは、じょうぶなラバを頼んだわ。2つめは、かぶが
湧き出てくる、魔法の袋━━━だって、これは、15世紀の話だもの」
「それで、3つめは?」と、モルダー。
「3つめは」と、女性。「時間をかけて、考えたわ。ムダにしたくなく
て。そして、考えたすえに、自信をもって、こう言ったの。
Je souhaite un grand pouvoir
et une longue vie.
ジュスウェイト ウングルプヴァ エングヴォイ。
つまり、パワーと長寿を願ったわけ」
「それで、きみ自身が、魔神に?」と、モルダー。
「これが、証よ!」女性は、右目尻の銀のホクロを指さした。「ジーニ
ーの。永遠のね。ある意味、とらわれの身だわ」
スカリーは、右手を、額に。
「もっと、考えるべきだった」と、女性。「わたし、逮捕されるの?」
「いいえ、あなたを拘留する理由は、なにも、ないわ」と、スカリー。
「今までのことで、事件性を裏付ける証拠も、まったく、ないし」そし
て、モルダーに。「彼女、自由よね?」
「いいえ」と、女性。「彼が、敷物、広げた!」
スカリーは、モルダーを見た。
「今度は、ぼくの番?」と、モルダー。
女性は、ほほえみながら、モルダーを見た。
モルダーは、しめしめという顔をした。
4
モルダーのアパート。
「あなたの相棒、空港から、さっさか帰ったわね」と、女性。熱帯魚の
水槽を見ていた。「きっと、わたしのことが、好きじゃないんだわ」
「いやぁ、そういうんじゃなく」と、モルダー。「とまどっているんだ
と、思うよ。ぼくも、そうなんだから、実際」
「無理に願うことないのよ。この話はなかったことに、しようかしら?」
「ううん」モルダーは、腕を組んだ。
「まさかね?」と、女性。「ひとつめは、なんにする?」
「もし━━━もし、きみが、ぼくの立場だったら、なにを願う?」
「わたしは、あなたじゃないわ」
「そりゃ、そうだけど、聞きたいんだ」
「そうね。願い事なんて、しない人生かしら」と、女性。「ただ、一瞬、
一瞬を、大切に生きて、ないものねだりをするんじゃなくて、あるもの
に、感謝するの。すわって、カフェオレを飲みながら、静かな時間を過
ごして━━━でも、わたしは、あなたじゃない。参考には、ならないわ」
「きみは、さっき、人間は、みんな、バカげた願い事をするって、そう
言ったよね?」
「そして、みんな、破滅の道を、歩んでいったわ」
「それは、つまり、自分の利益しか、考えなかったからだ」
「かもね」
「とすれば、要は、人のためになることを、願えばいいわけだろ?」
モルダーは、最初の願い事を決めた。
「う、それじゃあ」と、モルダー。「世界平和を頼む!」
「世界平和ね?」と、女性。「いいのね?」
モルダーは、うなづいた。「問題でも?無理かね?」
「いいえ、できるわよ━━━完了!」
「えへへ」と、モルダー。なにかに思いあたった。「まさか!」
窓のブラインドから、外を見てから、通りに出た。
車もバスも、みんな、止まっていた。誰も、いなかった。
「どうせ、こんなことだろうと、思ったよ!」と、モルダー。誰もいな
い、交差点で、叫んだ。「スカリー━━━」
モルダーは、心配になって、FBI本部まで、歩いた。
「スカリー!」と、モルダー。地下のオフィスに、誰もいなかった。
「誰か、いるか?」ローカにも、誰もいなかった。
「上出来だ」と、モルダー。部長の会議室で。「ジーニー、どこにいる、
返事をしろ!」
「なぁに?」と、女性。部長のイスに座っていた。
「いったい、なんなんだよ?」と、モルダー。
「だって、言ったでしょ?」と、女性。「世界平和!ほらね?」
「人をおちょくるのも、いい加減にしろよ!」
「なんの話よ?」
「ぼくは、地球に平和が来ることを願ったんだ。なにも、地球上の人間
を、まとめて、全部、消さなくても。人の心を変えるとか、他に手は、
あるだろう?」
「うーん、この次は、そう、言ってね。だいたい、このわたしに、60
億の人間すべてを、ぜんぶ、善人にしろっていうの?そんなことできた
人、今までに、いないわ!アラーも、仏陀も、キリストも。それを、あ
なたが、実現したいの?それは、なぜ?自己満足のため?」
「だれが、そんな!ひどい、邪推だ」
「うーん、そうかしら、恥を知りなさい!願いを、取り消しにした方が、
いいかしら?」
「ああ、ぼくの意図を、きみが、ここまでねじまげるとは、思わなかっ
たからね」
会議机で、7人の上司が、会議中だった。
「だいたい、きみは」と、モルダー。部長のイスに、向かって。「人間
というものを、バカにしすぎなんだよ。500年も、ジュータンにくる
まってたから、分からないかもしれないけど、人間は、そんなに、バカ
じゃない。棒をもったサルとは、違うんだ。昔から、なにひとつ変わっ
ていないのは、きみだけだ」
女性は、モルダーの後ろを指さした。
「モルダーくん」と、部長。会議机から。
「はい」と、モルダー。振り向いた。
「なぜ、ここにいる?」と、部長。
「ああ」と、モルダー。うしろを見たが、部長のイスには、だれもいな
かった。
◇
モルダーは、自分のオフィスで、コンソールに文字を打っていた。
女性が、読み上げた。
「であるがゆえに、最後の願い事は、人類の幸福のために、うんぬん、
かんぬん、ただし、以下のことは、現在のことに限り━━━ふん、ねぇ、
なに、これ?」
「ああ、契約書だよ」と、モルダー。「最後の願い事は、完璧なものに
しておかないと、また、きみに、勝手に解釈されて、ヒトラーが出てき
たり、原始時代に戻ったら、困るからね」
「残念!それ、楽しみにしてたのに!」
ドアをあけて、スカリーが、入ってきた。
「スキナーから聞いたわ」と、スカリー。「モルダー、あなた、だいじ
ょうぶ?」
「きみ、けさ」と、モルダー。「自分が、1時間ほど、姿を消してたの
を、覚えている?」
「いいえ」
「ああ、だったら、いいんだ」
「ああ」スカリーは、うしろの女性に言った。「ちょっと、はずして、
もらえる?」
「いいわよ」と、女性。
「たとえば、きょう」スカリーが、うしろを向くと、女性はいなくなっ
ていた。
「彼女、どこへ、行ったの?」
モルダーは、腕を組んだ。「どろん!」
「やめて!」と、スカリー。「きっと、催眠術か、でなけりゃ、メスメ
リズムか、なにかよ」
「スカリー、見たとおりさ。透明人間を検死したのを、忘れたのか?」
「そう、思ったけど」
「あーあ」
「モルダー、それじゃ、かりに、あなたが、正しいとしたらよ。それこ
そ、あなたが、しようとしていることは、危険だわ。前に、そう言って
たじゃない?」
「ああ、細かいことまで指定して、完璧な願い事をすれば、平気さ。そ
うすれば、世界中の人が、安全に、幸せに、暮らせるんだ。誰ひとり、
飢えることも、とらわれることもなく、権力を振りかざす政治も、終わ
る。ほかに、なにかある?」
「とても、すばらしいわ」
「だったら、どうして?」
「それを、達成しようと、努力することこそが、人生なんじゃない?ひ
とりの人間が、お願いしますの、ひとことで、実現させることじゃない
と思う」
モルダーは、ため息をついた。
スカリーは、室を、出て行った。
「それで?」と、女性。うしろに、いた。
「決めたよ」と、モルダー。振り向いて、女性を見てから、コンソール
の電源を切った。
エピローグ
モルダーのアパート。
モルダーは、ビデオの電源を入れた。「映画には、絶対、ポップコー
ン。これぞ、アメリカだ!」
テーブルに、ポップコーンのボウルを置いて、ビールの小瓶を手に、
ソファに座った。
「やだ、ボールズボールズ」と、スカリー。ソファのとなりで。
「これぞ、古典的、傑作だよ!」
「みんな、そう、言うのよね、男は」スカリーは、ビールの栓をあけた。
「きみんとこに、呼んでくれたら、マグノリアの花たちにつきあうよ」
「で、きょうは?なぜ、ビデオを?」
「なぜって、たまには、いいだろ?カンパイ!」
「カンパイ!」
「まだ、話してなかったけど、世界を幸福にするのは、やめた」
「わたしは、今のままでも、けっこう、幸せ」
ビデオが始まった。
「それじゃあ、最後の願い事は?」と、スカリー。
モルダーは、なにも言わずに、ビールをひと口、飲んだ。
◇
カフェテラスで、女性が、サングラスをとると、右目尻の銀のホクロ
は、消えていた。
カウンター席で、通りを見ているだけで、女性は、うれしそうだった。
「お待ちどうさま」と、女店員。
女性は、カップを口にした。
(第七_ニ十一話 終わり)